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一般投稿欄

日本共産党の「原子力政策」について

2004/06/01 さつき 40代

 5/29の私の投稿内容の大部分は(期せずして)Sekioさん、赤根さんの投稿内容と重なってしまったようです。大歩危さんは、まだ納得されない部分もあろうかと思いますが、大方の論点は出尽くしたと思いますので、私からは、ひとまず終了とさせていただきます。大歩危さんのような方と冷静な議論ができる場は、他には思い当たりません。改めて、さざなみ編集部に御礼申し上げます。
 天邪鬼さんには過分な評価をいただき、恐縮です。私自身は、「さざなみ通信」の開設趣旨に賛同し、日本共産党に今も残る友人達に、何か益することがあればと思ってこの場に参加しています。その点では天邪鬼さんの立場とは多少異なっているかもしれません。それでも、「さざなみ通信」の目標とする視野の内には、なんのための党であるかという、その向こうに、もっと広い裾野が広がっている筈のものと理解しています。天邪鬼さんの、常日頃の(おそらく)義憤にかられての多数の投稿を読むにつけ、天邪鬼さんのような方もまた、この場になくてはならない存在だと、僭越ながら思うものです。その内、いろいろな問題で意見を交換させていただきたく思っています。
 さて、25日の投稿を「大歩危さんへ」とせずに、一般論として書いたのは、機会があれば日本共産党の「原子力政策」についても議論したいと思っているからです。中でも、多少の緊急性を帯びている問題について、ついでにふれさせていただきます。

1)高レベル核廃棄物の地層処分の問題
 現在、原発から出される高レベル核廃棄物(死の灰)の地層処分に向けて、候補地の地方自治体へ向けた公募が行われています。どこであれ、地方議会の共産党員は反対するでしょう。では、政権党の立場から国策として判断しなければならない時、党中央はどのような政策を打ち出すべきでしょうか。核廃棄物は、多量に溜まってしまった以上、なんとかせねばなりません。「自主、民主、公開」と唱えるだけで、具体的なエネルギー・環境・経済政策のない党は、一般国民から見て魅力が薄いと思います。私は、高レベル核廃棄物を処分できる「地層」は、少なくとも日本国内には存在しないと考えていますが、ではどうしたら良いのか考えあぐねています。
 ちなみに、今年の新年早々に、高知県佐賀町で、地層処分地の誘致を求める一部住民グループの運動が起こり、町長が困惑しているとのニュースが飛び込んできました。私の知る限り、現在のところ、このような住民運動があるのは全国でここだけのようです。そう言えば「大歩危峡」があるのは、そのお隣の県でしたね。とても美しいところです。

2)反核運動と広島の参院選候補者の一本化
 来る参院選の広島選挙区では、共産党はいち早く県常任委員の藤本氏を候補として擁立、発表していたようです。一方、広島の平和団体グループでは、無所属の護憲派統一候補擁立の模索を続け、最近になってようやく、長年に渡って草の根の平和運動に取り組んでこられた岡本三夫氏の擁立にこぎ着けました。支援者グループでは、護憲勢力の結集を呼びかけています。これに応え、社民党と新社会党は推薦を決めましたが、共産党は無視しています。私は、共産党は、今からでも遅くないから現候補者を降ろし、憲法の平和条項を護る一点での統一戦線候補として、岡本氏を推薦すべきだと思います。そうできない理由があるのなら、無視せずにきちんと説明すべきです。しかし、それは、広島にとって主要な問題としての「反核運動」における確執から、ほとんど期待できないことなのかもしれません。
 私の拙い理解では、「反核運動」が「原水協」と「原水禁」に分裂した後、その分裂が固定化された背景として、原発の問題をどう位置付けるかで意見の対立があり、その事が尾を引いているのだと思います。「原水禁」は、原発を含む核反応の利用全般を、人類に制御不能なものとして「反核運動」に取り込みました。そのため、「原水禁」の活動家の多くが、脱原発運動にも取り組んでいます。一方「原水協」は、「反核兵器運動」に原発の問題を持ち込むのは、運動の起点としての「一致点」を拡散させ、再び分裂を持ち込むものだとして反発しました。「自主、民主、公開」という三原則が守られることを条件に原発を容認するという共産党のスタンスが反映されたものと思います。私は、米国から帝国主義的な側面が除去されない限り、この三原則の内「自主」と「公開」は実質的に不可能であり、その展望は開けていないし、つまり「三原則」は絵に描いた餅だと思っています。

 機会があれば、上記二つの観点から、日本共産党の原発・反核運動の問題点を論じたいと思っています。関係するエネルギー問題、経済の問題全般に渡っては、私の手に余るので、皆様にいろいろとお教え戴きたいとも思っています。「緊急の問題」としながら、「機会があれば」と書くのは、私自身、最近の投稿に時間を割いたことで、日々の生活に支障をきたしているという現実もあります。まとまった投稿ができないかもしれず、その節はご容赦願います。