僕はできるだけ固有名詞をあげて特にインタネットや多くの人が見る前で人を
非難しないようにしたいと思います。名前というものは怖いもので自分の名前が呼ば
せると意識を失っている人でも反応するのではないかと思います。インタネットの中
でたとえその人にとって良かれと思って批判してもその人は批判を非難としかとらな
い場合が多いでしょう。むしろ逆に構えるか反撃することで自分を護ろうとするのが
普通なのです。
できるだけと書いたがどうしても名前をあげて批判しなくてはならないときはその
人がよいものを持っていてある一部に誤りがあると思える人であるならば、一部の誤
りを批判する以上にその人のよいものを評価する必要があると思います。逆にその人
が敵であるならば完膚ないほど叩きのめします。味方にたいする批判と敵に対する批
判は決定的に違います。さざなみ通信の投稿者は右翼を除いてすべて味方なのです。
味方に対する批判はその人に受け入れられなければ意味がありません。だから非常
に難しいのでよく話し合う方法がわからなければしないほうがましでしょう。私はあ
なた方が長壁さんに対する批判が正しいか間違っているかについては触れません。し
かしそのやり方はすべて間違っていると思いました。何が?優しさが足りないことが
です。このやり方は査問のようです。僕ならしばらく姿を消します。できれば一人が
仕方なくそうすれば他の人は静かに見守るものです。
レーニンがローザ ルクセンブルグを批判した「小冊子ユニウスニついて」と題し
た論文があります。今記憶で書いているので題名を少し間違っているかもしれません。
1918年か19年の頃のものです。
第1次世界戦争を迎えるにあたってカウツキーを党首とするドイツ社会民主党(共
産党)が祖国擁護主義、言い換えれば国益のために戦争を支持します。愛国主義といっ
てもいいです。どこかの国の共産党に似ています。カール リープクネヒトとローザ
ルクセンブルグはこの戦争が帝国主義戦争であることを主張し敢然と叛旗を掲げ新
たなるマルクス主義党スパルクス団を結成します。レーニンは彼らの(共産党分裂の)
勇気を讃えました。そしてヨーロッパの多くの党が祖国擁護に立ったからには各国共
産党員は叛旗を翻しバーゼル宣言に立脚した党を結成しようと訴えます。
さてレーニンはローザを非常に高く評価するが彼女が出版した「小冊子ユニウス」
に掲載されているローザの論文を批判しなければならないと決断します。ユニウスの
中で彼女が帝国主義間戦争に反対せよと訴えているが民族解放戦争の意義を完全に無
視しているのです。つまり第1次世界戦争は帝国主義による植民地再分割のための戦
争であり、各国労働者とその党は自国帝国主義を打倒する戦いを起こし帝国主義戦争
を止めさせねばならないというと考えるレーニンははローザの主張を非常に高く評価
し、言い方を変えれば褒め称えながら、アラブやアフリカの被植民地諸国の民族解放
戦争に目を向けないのは誤りであると、非常に厳しく批判しているのです。この批判
は言葉のやり取りの問題でなく、現実に民族解放戦争に対する評価が世界革命いに影
響をおよぼすという判断からであり、ローザ個人に対する感情の問題ではないのです。
根底でレーニンはローザに非常に優しくかかれた論文の中で批判は厳しく行われて
います。僕はレーニンの「小冊子ユニウスについて」の論文をこんなときに思い出し
ます。それを読めば「こんなことどうでもよくなる」と思ってくれるのを期待してま
す。ユニウスの内容のほうが大きいですよ。
どうか、あなたも読んでいただきたいと思います。僕は引用というのが嫌いでいい
かげんに記憶したことを書いていますが、僕に悪い頭の理解力と笑って頂いても構い
ません。
長壁さんには誰にももてない天賦の素晴らしいものがあります。やはり彼女の文章
は魅力があり料理の中の小気味のいい香辛料かもしれません。彼女が抜ければ塩もカ
ラシもない肝臓病の病人食になりますよ。ときにカラシが利き過ぎることもあります。
その代わり次の料理は甘くなります。つまり行過ぎたりフイードバックしながら正し
い道を探っていくものです。