ご回答有難う御座いました。大分論点が明らかとなってきました。大歩危さん
は、「「米国の研究所等」の見解に確信を持っている訳でも」なく、劣化ウラン弾に
よる「内部被曝の危険性はあり得る」と考えているということでした。この点では私
たちの考えが一致していることを改めて確認したいと思います。
私はさらに、次のように続けています。それは、もし危険性を認めるのであれば、
その被害が現実に起こっているかどうかは別にしても(放射線障害が実際に現れるの
は何世代も後のことかもしれません)、使用中止を求めるべきではないかということ
です(下注)。
被害が起こる前に警告することは科学者の、そして行政に携わるものの責任です。
それでも使用を認めることができるとしたら、それは、使用によって危険性を上回る
人道的利益が得られる場合だけです。それでその人道上の理由を聞いたのですが、お
答えになっていません。
今、私の知っている劣化ウランが使われる理由は、1.密度が大きいため、破壊力
(貫通力)が強いと同時に、それ自身燃焼するために、閉鎖された空間内での対人殺
傷力が極めて大きくなること、2.原子力発電所の捨て場に困る廃棄物の利用になるた
め、安価であること、の2点です。
殺人の能力を高めることが人道的な理由でないことは明らかでしょう。私が馬鹿げ
た質問をすると思われたかもしれませんが、ここには、これまでこの場では余り議論
されなかった重要な問題が提起されていると思います。それは、破壊力と殺傷力のよ
り強い兵器の開発と使用に私たちが賛成するのか否かと言う問題です。さらにまた、
産業廃棄物の軍事利用を認めるのかどうか、さらに広げて考えれば、日本人が原則と
しているはずの原子力の平和利用の考えに反するのではないかと言うことです。
見解の相違というだけで切り捨てないでください。私たちはあの70年代を目前にし
た大学紛争で、学問と科学・技術の平和利用について真剣に悩み考え抜いた世代です。
今、戦後打ち立てられた憲法9条をはじめとする平和諸原則が次々となし崩しになっ
ていく中で、もう一度、明日の世界の平和と科学技術の平和利用の問題を問い直すべ
き時にきているのではないでしょうか?
私の質問1の、微細化したウランの放射線の問題は、ベータ線の問題と言うよりは、
エネルギーと放射線の問題、すなわち、エネルギーは保存量であるが、放射線は保存
量ではないということで、簡単に結論が出ると思います。別の稿で、私の拙い考えを
述べてみますが、その前に回答が出されれば控えます。
注)統計的調査で有意差ありと判定された結果に疑問を提示するのは容易なことです。
それは、もともと帰無仮説自体がいろいろな仮定や前提を含んでいるからです。です
から、どのような仮定あるいは前提に問題があるのかを明らかにしなければなりませ
ん。難しい問題ですが・・・。有意差なしという結果も同様ですが、有意差のありな
しと因果関係のありなしとは同義でないことに注意が必要です。従って、統計調査結
果の利用の仕方は、その調査対象と調査を行う立場によって大きく異なり得るもので
す。有意水準は、そのような結論を出すことが、その結論を出すことが誤りであった
場合の危険性とのバランスで判断されますが、ここの問題の場合、米国研究機関の結
論が誤りであった場合の危険度とNGOの調査データが誤りであった場合の危険度を考
えて判断されるべきでしょう。
アメリカの政府高官は劣化ウラン弾の危険性について次のように語ったということ
です。「兵士が戦場で死傷する確率は劣化ウラン弾による障害の確率よりはるかに大
きい。だから劣化ウラン弾の危険性は無視できる。」これは統計の悪用です。