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一般投稿欄

戦争とは何かーーさざ波という戦場で その②

2004/06/18 長壁 満子 40代 金融

 巷ではようやく、ゆで蛙が流行りだしたようである。「厭戦庶民の会」の信太さんは、国会前で蛙のイラストをつかっての今の空気を告発とか。
 先日、樺美智子さんの追悼には、鶴見俊輔氏、小田実氏らと本多立太郎氏ら20人ほどが集われた。国会南通用門で、花を奉げて黙祷。
 さざ波関係者は、当時、60年安保で、国会を何十万人もの人が囲んだなかにいたかたもいるかもしれない。いなくても、東大生樺さんが国家権力に殺されたことを知らない人はいないだろう。
 今日、私は、90歳の本多立太郎さんのお話を伺ってきた。いつもこの時期、10日~2週間ほど和歌山から上京される。孫の将来のためにはじめた、戦争出前噺。ラーメンを頼むように、気易くかたり、気易く聞いて欲しいと始めた出前出張も、今回で960回。
 軍服の金ボタンに弾があたって、一命を取りとめたという氏は、自分の手の中で血まみれになって死んでいった兵士3人をみとったという。
 「ことに、女性である皆さんにいいたいが、意識が遠のき、死の寸前には、みんな赤ん坊になるのです。みどり児になって死んでいくのです。おかあちゃ~ん、いた~い。おかあちゃ~んといって、死んでいきます。誰一人、天皇なんていいっこない。お父さんとも言いません。おか~あちゃ~んと最後は」。

 私は涙をとめることができませんでした。

 「戦争とは何か」と問われることがある。私は「別れ」と「死」であるとこたえている。自分もまた、その当時、勤務する東京朝日新聞社に赤紙がきて、みんながそうするように、長髪を丸刈りにし、好きな音楽と女性のいる喫茶店に挨拶にいった。
 最後に好きな音楽「ボレロ」を5回もプレゼントしてくれたというその店で、コーヒーを一口のみ、別れを無言のうちに告げたのだと。
 二度目の召集の後、1947年、シベリアから帰ってきたが、喫茶店はあたりいったい、焼け野原となっていた。

 殺人を目的とする集団に放り込むために、「別れと死」を強要する戦争への、告発。その体験から語られる重い言葉は、今まで、個人的にはきき、知っていたことであっても、こちらを戦慄させずにはおかない。
 捕虜虐殺の体験もそうである。

 「処分しろ!」一言のもとに、新米兵士が実行する。
 川辺に後ろ手に縛った若い捕虜を座らせ、10メートルあたりから突撃し、胸を銃剣で一突きにする。捕虜の青白い顔、わたしをじっと見つめる、命の極限のようなその目を私は忘れたことがない。70年経っても、夜半に飛び起きることがたびたび、あります。
 当時、陸軍刑法というのがありました。最も重い罪が「敵前抗命罪」即ち敵の前で命令にそむくこと。殺さなければ殺される。実に恥ずかしく、せつなく、無念です。
 私は隊長に命令されたが、その上にはまた別の命令者がいて、またその上には・・最後に残るただ1人のものが最高責任者です。死んだのなら、その地位を引き継いだものに責任がある。
 もちろん、わたしに責任がないなどと、いうつもりはない。もし、殺した遺族のひとが、私を八つ裂きにしても甘んじて受けなければならない。

 本多氏は、戦争の狂気を、当時「ベトナム帰り」といわれた、戦場帰還者の社会復帰の困難さとむすびつけて、自らの体験をかたられた。人を殺めるという狂気を演じた自らの責任とピラミッド型の支配権力を突く、鋭い発言で、戦争の加害と被害をみつめておられる。

 ここで、長壁バッシングを始める人は、こうした本多氏のような肉声、また、著名な評論家やメディア、地道な目立たない記事の中にある真実に、真正面から反論して欲しい。
 何度も言うが、さざ波という井の中で、よどんだ井戸水しかしらない御仁は、少し、武者修行に出てはどうか。右翼掲示板だけなく、せめて、クリエイティブや阿修羅で、実践してみてはどうかと思う。
 ちなみに、私が力を入れているクリエイティブは、かつての人質事件の頃は一日アクセス198万という驚異的なものだった。今は平均5万である。先日、もり上がったときは6万。
 一方ここは、私がさざ波に顔を出した頃は、確か、550くらいだったし、その後と知事選のころは650~700のアクセスだったと記憶する。
 筆坂事件の頃、サンデー毎日にさざ波の記事が乗った直後、2日で1万で、一日5000。そして、最近は900から1000くらいで維持しているようである。
 話しはかわるが、今日、友人からきいたことだが、かの安田純平さんたちも、今回の邦人ジャーナリスト殺害は、米軍関与を疑っているという。1人は後ろ手に縛られて尋問されていること。すぐ殺していないということである。彼等は、私以上に、コトの事実を知る立場にある人である。
 私は、最初から最後まで、ここで、戦争の真実をみんなと共有したいと思ってきた。この膨大なプロパガンダを突き破る視点を醸成したいとおもって、頑張ってきたつもりである。こちらの予想を超えて、その力は大きすぎて、不特定多数の人たちには、ついてこれなかったかも知れないが、すくなくとも、まともに、私の投稿をよんでくださったかたならば、ここで行われている長壁バッシングは笑止ものだろう。
 そうした人々も、なぜか沈黙するこの空気を私は戦争色と、解しているのだが。さざなみ通信が、これ以上、腐りきったサイトになりさがるのなら、私は身を引こうと思っている。
 さつきさんが、大歩危さんもろとも、共産右翼の救世主となって、今後も活躍されるなら、それはそれでいい。
 ただ、あなたほどの人が、過去、テロリズム論であれほどの見識を寄せた人が、いとも、たやすく戦争色に染まるとははなはだ残念である。はっきりいって、劣化ウラン弾の危険性など、公的に飛び交う情報と、かつて、何度か、ここで紹介した奇形児写真集だけで、十分なのである。この戦争国家へ突入している最中、たかが数人の偏った共産排外右翼に真正面に向き合うことがどれほどの価値があるというのだろうか。あなたの知識は、かってはいるし、その姿勢には敬服もしているが、この度のミイラ取りがミイラになる無様なさまは、あきれかえるしかない。「さつきさん、大丈夫ですか」といいたいのは私のほうである。