辛淑玉さん、上野千鶴子さんの情報、ありがとうございました。上野千鶴子さんの発言は、最近はメディアで取り上げられることが少ないですね。御活躍のようで何よりです。
ところで長壁さんの6/15の投稿ですが、長壁さんが軽蔑している(?)というその「オバハン」達にこそ、その一人にでもが納得いただかねば、日本も世界も何も変わらないのではないでしょうか。「変わらない」とは、戦争へ突き進むこの情勢が変わらないという意味も含んでのことです。むっくさん(6/15)の主張をそう理解しました。関連して、6/12に書いた「逆効果」につい補足しましょう。
つまり、世の中には反戦平和活動の闘士もいれば、軍国主義者の闘士もいる。共産党の闘士もいれば、反共の闘士もいる。「オバハン」達のような多くの市民はそのどちらでもない訳ですが、こうしたオープンな場での議論は、たとえ特定の論争相手へ向けたものであっても、そうした方々が読むことを前提になされている筈です。そこで、一方の立場から何かをアピールするときに、10人が賛同してくれたとしても、他の10人が反発を感じて、その中の何人かが逆の立場の「闘士」に生まれ変わっては喜べないでしょう。既に、そうした成り行きをうかがわせる投稿も過去にいくつかありました。その主たる要因は私達の言葉遣いであったり、議論の姿勢であったりする訳です。
WISEジャパンから配信された『ニュークリアモニター日本語版』最新号に次のような記事があります。
スリーマイル島(TMI)原発の事故の後、アメリカの科学者達は原発そのものの危険性と政府の核政策の誤りを指摘する発言を精力的におこないました。かれらは、自分達の主張は全く非の打ち所なく正しいものであると信じていた。かれらは、正しいことを言えば皆が納得して米国の政策も変更されるだろうと楽観していた。ところがそうはならなかった。政治の力学は「正しさ」とは別のところにあることに気がついたのです。運動を進める中では誰しもが直面することでしょう。
それを食い止めるためには政治的な力を必要とする。なぜなら、原発はそれ自身で止まることはないからだ。議論や説得、あるいは十分な証拠で止まるものならば、はるか昔にわたしたちは勝利していたであろう。しかしそれだけでは不十分だ。わたしたちはしばしばあまりにも自分たちの主張の正しさに自信を持っているが、もし「かれら」がそれを理解しないなら、どうすることができるだろうか? 問題は「かれら」は権力というものを理解している。われわれに必要なことはきわめて明快である。教育、テレビがそれをしてくれると思ってはいけない。組織すること、そして人びとを集めること。それをあらゆる場所で繰り返し行うことだ・・・。それをすべて実行するなら歴史書にこう書くことができるだろう。「時間はかかった。しかし最後には、ついにTMIは原子力の終わりの始まりとなった」と。
かれらのねばり強い努力は、核の超先進国という困難な情況にあるにもかかわらず、有力な国際的反核ネットワークの構築に多大な力を発揮しました。かれらの言う「それだけでは不十分だ」は、もちろんその基礎として「なにごとかを主張し、議論をするに当たっては、事実に基づき、道理にのっとり、多くの場合節度をもって、そして理性と情熱をもって、今日私たちを取りまいている情勢について語る」(ロゴスさん6/13)ことを前提としているでしょう。私達も同じ道を目指している筈です。長壁さんにメッセージを寄せられたというご友人共々、ぜひとも、ロゴスさんの主張に真摯に耳をかたむけてほしい。
この、「ねばり強い、あるいは忍耐強い努力」について、いつも考えます。愚等虫さんの投稿で、80~90年代に日本共産党から追放された著名人達の、除名や除籍に至るいきさつを知りました。多くは、今でも私が尊敬申し上げている方々です。
田口富久治さんの著作「先進国革命と多元的社会主義論」は一筋の光明となり、当時離党を決意していた私を躊躇させました。中里喜昭さんの『分岐』は今でも心に残っています。若い頃、文学の方法についてお聞きする機会があり、感銘を受けました(文芸評論で活躍されていた清水三喜雄さんは今も党に残られているでしょうか)。古在由重さんは思想的に最も影響を受けたお一人です。本当に心が痛みます。伊里一智さんの問題があった時には同世代として励まされ、また憤慨もしました。今はどうなさっているでしょうか。川上徹さんのことはずいぶん後になって知りました。最も忍耐強く闘ってこられたお一人だと尊敬します。有田芳生さんが労を執られた「日本共産党への手紙」を読み、これで党も少しはマシになるかと期待しました。有田さんは、今では「反日本共産党」の闘士とよべるくらいです。
日本共産党の「思想浄化」作戦によって追放されたこれらの人々の周辺にも、当事者達の思惑とは無関係に、おおぜいの「反日本共産党」の闘士が生まれたことを私は知っています。一方で清廉と評されながらも、他方では「嫌いな政党」の筆頭にもあげられる。党としてはそれを「反共攻撃」のせいだと片づけているようですが、党勢は、これらの「追放事件」を遠因として深刻な後退を余儀なくされたのだと思います。長壁さんが、もしまだ読まれていなかったら、霜多正次さんの「「『民主文学』四月号問題」とは何か」と題する記事を是非とも読んでいただきたい。
民主的な組織で上からの一方的な「思想浄化」などあってはならないことです。真の意味での民主主義の実現を目指すという「さざ波」のようなサイトにとっても「思想浄化」の臭いは、最も似つかわしくないものです。
沢山の投稿が長壁さんに向けられる中、追い打ちをかけるようにいろいろと書きましたが、無視して良いくらいの人なら時間を割いてわざわざ投稿する人もいないでしょう。長壁さんはそれだけ影響力があるということです。私は、長壁さんに、この場に残っていてほしい。だからこうして、「議論する時は節度をもって」と、ひとつの簡単なお願いをしています。「さざ波」編集部の日々の苦労は察するに余るものがあります。その苦労を無にしないためにも、どうか皆さんの声に耳をかたむけてほしい。それから、ここに投稿される方々が議論ばかりをしている訳ではないことをお互いに理解しましょう。「ねばり強い努力」とは新しい文化を創造する努力であると言ってもよいくらい息の長い筈のものです。その覚悟なくして、私達に何が成し遂げられるでしょうか。(6/18 記)