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民主集中制について

2004/06/21 百家繚乱 50代 事務職

 レーニンと合流する前の若きトロツキーは以下のように書いた。

 「同志レーニンはひかえめな評議会を全能の公安委員会に変えた。『清廉な』ロベスピエールの役割を引き受けるためにである。邪魔ものはすべて一掃されなければならなかった。そして、同志レーニンはイスクラ的なジャコバン派を粉砕することをためらわなかった。評議会を通じて『徳と恐怖の共和国』を邪魔されずに樹立できさえすればいいのである。」
 「このような体制は長く続くことはできない。『恐怖政治』の体制は反動にぶつかる。パリのプロレタリアートは、自分たちを貧困から脱け出させてくれると期待してロベスピエールをまつり上げた。しかし、独裁者は彼らにあまりにも多くの処刑を与え、あまりにもわずかなパンしか与えなかった。ロベスピエールは没落しジャコバン派全体を道連れにした。そして、それとともに民主主義の事業一般を道連れにした。」

 この若きトロツキーの予測が実現した時は、あまりにも、遅かった。
 もちろん、レーニンとロビスピエールの果たした役割は同じではない。レーニンはロビスピエールのように同志を処刑台に送ってはいない。むしろ、これを堅く禁じていた。しかし、レーニンの「民主集中制」は、レーニン死後、直ちにロベスピエールと同じ役割を果たし始めた。
 マルクスは、ロビスピエールを弁護する。それは、ジャコバン派の残骸の上に社会主義が立ったからである。第二インターは社会主義の精神を保持したが、妥協主義的で、戦争の問題ではふらついていたが、この中から、本当の社会主義革命が起きたことを重視すべきである。第三インターは、第二インターが産み出した革命の結果として、その神聖化として産まれでただけである。確かにこのインターは、少なくとも、初期のうちは世界革命の精神に満ち溢れていた。しかし、スターリンの「一国社会主義」と共に、反革命の道具になってしまった。トロツキーは第三インターの残骸の上に第四インターを夢見た。これは、今日では、完全に破綻した。第四インターは、第三インターの神聖化の焼き直しに過ぎなかった。
 革命というものは、特定の人間・思想を神聖化することでは、絶対に起きない。革命は、己を拘束する一切の束縛からの解放を求める人間の叫びである。従って、第三インターの敗北は不可避だっただけでなく、第四インターの泡沫的運命も不可避だった。どこに向うか分からない第二インターこそが、人間に可能性と希望を与えることが出来た。自由で創造的な人間、従って、革命的な人間は、特定の人間・思想によって、進むべき道を与えられることを拒否するだろう。己の頭で革命の道を見え出せず、従って、己が己の革命的な主人となる勇気を持つことが出来ないものは、第三インターを信じることで、「革命家」への道を選んだ。他人や組織への隷属は、己への他人や組織の隷属、の願望を生み出す。ゾルゲや尾崎の人生が語るように、人間は自由なのであって、他人を隷属させることに誇りを見い出すものが、革命家であることは絶対に出来ない。
 今日の世界では、情報公開の原則が広がっている。これは、一種の内部告発の制度化のようなものである。内部告発の仕組みを持たない集団は、世界のグローバルな競争で、忽ち、その力を失うだろう。「民主集中制」の制度はこの内部告発の動きを完全に封じる制度である。「上級機関の許可なしで、勝手に意見の公表を禁じる。」これほど官僚機関の腐敗と堕落を守る制度はない。国民に対しては、都合の良いとこだけ見せ、言う。悪いとこは「見せない、言わない」。こんな政党に、果たしてどんな革命が可能なのだろうか? 国民に対して、都合の良いことだけ見せ、悪いことを見せれば「反革命・裏切者」になるだけだろう?むしろ、今日の革命家の条件は、このような一切のデマゴギーと裏切りを告発する勇気こそが、求められている。
 社会愛国主義は誰でもが陥りやすい間違いである。今日の左翼が、貿易問題で陥っているように。レーニンやトロツキーは世界大戦が産み出した英雄であって、こんな英雄になることも、こんな英雄を期待することも、実に馬鹿げている。我々は、彼ら英雄の残骸の上に立っている。ここから先は、自分の頭で考えるしかないし、多様で多元的な自立的知性しか、未来を掴めない。我々は、もう一度、再び、ロシア革命を産み出した第二インターの多様性と多元性に、立ち返るべきではないだろうか?
 もっと自由を、もっと民主主義を、さすれば、もっと平等への扉は開かれるだろう!