曙光のきざし様へ、ご意見をいただきありがとうございました。私は週に一度程度しか掲示板に来ないため、遅くなって申し訳ありません。
さて、グローバリゼーションについて、会計制度の側面でご意見をいただきました。この分野では一応「国際会計基準」など、昔からあったように思います。しかし、日本企業の閉鎖性の顕著な一面が「会計制度」にあることは、私も知っておりました。形だけの株主総会は当然視されてきましたし、法定監査もどれほど実効あるものなのか、当の会計士たちも自信がなさそうなことを言っておりました。
株主に対するディスクロージャーよりも、社内の「平穏無事」が優先されるシステムが長く続いた理由には、法人による株式の相互持ち合い、社内組合制度という日本の特殊条件があったことは明白です。
そういう意味では、会計制度面でよりクリアになること自体は、けして悪いことではないでしょう。
さて、グローバリズムを考えるに際して、いわゆる「ヒト、モノ、カネの自由化」という原理面と、英米アングロサクソンによる「ルールの押し付け」という二つの流れが複雑に絡まっていることに注意が必要です。確かに、ここ数百年の世界史をリードし、支配者として君臨したのはアングロサクソンです。ドイツ、日本、ロシアなどが、この支配権に挑戦し敗退しました。しかし逆に、経済のグローバリズムが進み、企業が国境に関係なく活動すればするほど、マルクスの言った「万国の労働者よ・・・」という言葉に現実味が出てきます。どの国でも貧富の差が拡大し、中産階級が労働者階級に転落する傾向が強まるからです。
今や日本の経営者たちは、まったく短絡的頭脳で動く状況ですから、企業内組合という、まさに階級分断の「奥の手」までも自ら放棄しようとしています。また「労働貴族=(学歴)中産階級」が、日本の資本主義体制存続のための防波堤であることも失念したのです。
短期的には、民主党という中道右派政党が「生き残った労働貴族と新自由主義勢力の合体」により主導権をとると思います。保守主流派は、二世・三世議員の跋扈で墓穴を掘るのではないでしょうか? 労働貴族に捨てられて、もともと人民に根を張っていなかった戦後サヨクは、誰からも惜しまれず静かに退場します。
また、グローバリズムの攻勢で、一時的に落ちこぼれの若者に支持されている守旧的右派も、長くは続かないでしょう。所詮はガス抜きの役目です。
こうなると、労働貴族でもなく落ちこぼれでもない「まともな人民」をいかに結集させるか、そこに新しい革新派の基盤があるように思うのですが、どうでしょう?