長壁さんの投稿を読む度に、一ファンとして心配になります。あなたの怒りはわかりますが、それを納得されない方にダイレクトにぶっつけても無意味どころか逆効果ではないでしょうか。「排外的な右翼言説」、「とんでもすり替え論者」、「カビも生えた戯言」といった言葉を投げつけて終わることで、相手が何か納得することがあるでしょうか。そうした方をただこの場から追い出したいだけですか? この場から異論者を追い出して、「さざ波」を純化されたセクトにでもしたいとお考えですか? 何のために議論しているのですか? どんな努力も、多数派を結成することに繋がらなければ、結局は自己満足に終わってしまいます。多数派を結成する努力とは、具体的には、理を尽くして議論し、一人でも多くの方に自らの主張を納得してもらい、運動の輪に加わって頂くということではないでしょうか。
あなたのご近所や、職場の同僚や、学生時代の旧友などにも、あなたのおっしゃる「ゆでがえる」状態の人は多いに違いありません。そうした方々と話す時にも同じ様に「排外的な右翼言説」、「とんでもすり替え論者」、「カビも生えた戯言」といった言葉を投げつけられるのでしょうか。もし、そうだとして、それで一人でも新しい仲間を引き入れたことがおありでしょうか。隣人を一人でも運動の輪に迎え入れたいとお考えなら、もう少し言葉を選ぶ努力をした方が良いと思うのですが、いかがでしょう。誤った情報が反乱する中で、少しでも防波堤になりたいとお考えであるとしても、基礎を固めなければ、その防波堤は簡単にくずされてしまいます。一度決壊し始めたら、流れは止まらず、あらゆるものを巻き込んで、破壊し尽くします。その危険性をもう少し考えて頂きたい。
これまでも、議論の仕方については、いろいろなクレームや提言がなされてきましたが、例えばスパルクタスさん(4/28)の主張で十分だと思います。「自称ゆでがえる」さん(5/8)は、「相対主義」的な立場から、「議論」ではなく「感想を述べ合う」ことを薦めるような主張をされていますが、これに対しても、N.Kさん(5/16)は、最も洗練された文章で、「相対主義」を排し、理性的な議論をすることの重要性を説かれています。そのN.Kさんでさへも、その中で「自己満足としての「正義感」の裏側に張り付いたエゴイズム」などと書かれるし、かっては私に対して「人権のイロハもわからない・・・」と、相手を傷つけるような言葉を平気で使われる。振り返れば、私も同じ様な言葉を議論の相手に投げつけたかもしれません。
議論するということはまことにもって難しい。しかし、この場が議論するための場である以上、隣人と接するのと同じ節度は、最低まもる努力をしなければならないでしょう。自戒を込めて。