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どうしょうもないのかこの国?

2004/06/04 クオリア 60代以上 労働者

 6/3、参院厚生労働委員会で、自・公両党による暴挙、国民の七割が反対する年金改悪法案が、数を頼んで強行採決された。
 「給付は現役世代の50%保障」「保険料に上限」と云う二枚看板が、まっかな虚偽であるにもかかわらず、質疑の最中、事もあろうことか、まだ3人の質問者を無視して、悪法の総元締め、小泉首相の前で採決がされた。一体この男の精神構造はどうなっているのか? 「自民党をぶっ壊す」などと調子のいいことを云いながら、その実は、「抵抗勢力」も盗み、恐喝、嘘つきの公明党を丸め込んで、その三年間の実績は、国民の首を絞めるようなことばかり。こんなどうしようもない男が、一国の総理大臣とは、この国の将来は、まさにどうしょうもない国になってしまうのは必定である。今こそ野党三党は、党利党略を捨て、全国会議員が辞職して、衆参同日選挙にもち込んで、国民の審判を仰ぐべき、千載一隅のチャンスとするべきではないでしょうか。
 こんな詐欺師でペテン師の憲政以来の総理大臣は、歴史の彼方に葬らなければ、自主・独立の国づくりはできません。

 最近、右翼も左翼も一緒にして、男湯か女湯かもお構いなく、マナーもエチケット弁えず、傍若無人の云いたい放題が目立ちます。
 思想・心情、主義・主張、その価値観に基づいて、体制支持・反体制の立場を明らかにして立論すべきではないでしょうか。
 味噌も糞も一緒にしたり、己の正体を隠蔽して誹謗中傷する、何とも愚劣で品のない無頼の輩が目立ちます。そんな輩に限って、急所を突かれると、その証拠を示せ、やれ根拠を出せなどと喚きたてるから恐れ入る。また、そんな輩にむきになって噛み付くのもどうかと思う。
 迷いに生き、酒に生き、借金に生き、人に頼って生きた。放浪の俳人種田山頭火は、
 「ほろほろ、ふらふら、        ぐでぐで、ごろごろ、
           ぼろぼろ、最後がどろどろ」
と酒に酔ってゆく過程を詠っているが、山頭火の一生は、人に迷惑をかけ、妻子を捨て、自己顕示欲や一種の狡さ、上昇志向、権威主義、極めて保守的で保身的なものの考え方、そして甘えの情緒と裏腹に表れる利己的な冷酷さ、更に思いやりのなさには、率直に云って、私は鬱陶しく嫌悪を感じます。しかし、そんな山頭火でさえ、俳人としてのプライド、俳人としてのポリシーがあった。
 人を見て法を説け。と云う言葉があります。
 私はこの言葉の意味を山頭火に教えられました。
 訳の判らないごたくを並べ、ためにする議論を吹っかけて喜んでいる輩には、哀れでもあり、悲しいかぎりに思います。

 江戸後期の俳人・小林一茶は、放浪の旅に明け暮れる中で、
 「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」
と詠んでいます。弱者の味方、弱者の立場、弱者の目線こそ現状認識を正しく行う尺度ではないでしょうか。人に対する思いやり、優しさこそが大切であり、それに反する者への怒りと闘いは、人間の条件であると思います。盗人にも三分の利があるとか、殺人者にもわけがあるなどと免罪にするが、どうしょうもない国にして行くように思えて仕方がないのは、私だけでしょうか。

 報道カメラマン、沖縄出身の石川文洋氏の著書「死んだらいけない」の中で、「戦争とは何か、現場で何が起こっているのか、兎に角自分で見たい、知りたい、特ダネを撮ろうと思っているわけではないし、正義感や義務感といったものとも違う。かといって、単なる好奇心でもない。強いて云えば関心でしょうか。現場がどうなっているのか、と云う関心が強いんです。自分の目で事実を見るためには、現場に行くしかないから、戦争を知ろうと思えば戦場の、それも最も危険な場所に行かざるを得ない。ベトナムでは、外国の記者から『あんたたちカメラマンとは一緒に行動できない』と云われた。カメラマンは兵士より前に行くから、危なくてかなわない。なにしろ一番戦闘の激しい場所を選んで行くわけだから。しかし、この戦争が何か、戦場で起こっていることの悲惨さを知ってもらうために、これを発表することが必要だった。」
 小泉や石破も知らない戦場へ、真実を伝えるために、自らの命を賭して最前線へ身を置く、彼らカメラマン・ジャーナリストたち、そして、多くの尊い命が失われてゆきました。何故、如何して、何のために?
 この現実を如実にとらえ、真摯に議論しなければ、彼らの勇気ある行動を冒涜することになるのではないでしょうか。