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さざ波通信37号の「天皇制」評価問題記事への敬意

2004/06/06 樹々の緑 50代 会社員

 このサイトの参照は、ずっと以前に1回した後この3月末頃までしなかったので、これほどまでの議論が行われていたことを知りませんでした。愚等虫さんへの回答という形で掲載された『さざ波通信』第37号の第Ⅱ記事を今回初めて読み、S・T編集部員様のご苦労にどうしても敬意を表したくなり、投稿します。
 オリジナルを参照せずに物言いをするのは気が退けますが、愚等虫さんの論争相手であるdemocratさんが弁護士であると自認されているのであれば、S・T部員も相当の神経を使って上記記事を纏められたのでしょう。本当にご苦労様です。
 democratさんがどの世代の弁護士であるか分りませんが、少なくとも戦後司法試験制度下での弁護士であり、しかも先般廃止された特例組の(司法試験に合格していなくても一定の学者が弁護士となり得た制度があった)弁護士でないとすれば、司法試験の勉強をしていた当時に、憲法学者が天皇ないし天皇制に対してどのような態度を採っていたかは、その雰囲気(すぐ後に触れます)を含めてかなり知っていたはずです。
 また、多少でも法律をまともに勉強したことがある者にとっては、マルクス主義者でなくても、法制度に対する規範論理的「定義づけ」が一定の「価値判断」=イデオロギーに基づいてなされることは、明白なことだと思います。これは、川島武宜シューレでない星野英一教授さえ認めていることです。ですから、多くの「定義による」説を採る学者は、「天皇」のように実定法規上の概念ではない「元首」「君主」「君主制」を用いた議論、例えば「天皇は元首か」「天皇は君主か」「天皇制は君主制か」等々について、特に慎重な議論をしてきたのだと考えられます。
 この種の議論に学者として黒白を付けると、どうしてもそのイデオロギー性を問われ、右翼の攻撃対象となったり、意図しない「動機」まで穿鑿されたりするので、避けていたフシがあるということです。
 しかし、例の佐藤幸治近畿大教授と並び称されていた故芦部信喜教授の『憲法 第3版』(2002年9月刊)pp44~46の記述でも、天皇の地位の世襲制に触れた箇所で「世襲制は、本来、民主主義の理念および平等原則に反するものであるが、日本国憲法は天皇制を存置するためには必要であると考えて、世襲制を規定したものであろう。」と、現行憲法が規定する「象徴天皇制」の具体的あり方ですら「本来、民主主義の理念および平等原則に反するものである」との評価を明示しているのです。
 天皇制の存置は、連合軍総司令部(と日本の支配層-引用者補足)の意向(=政治的必要-同)から、憲法上の制度として選択されたが(上掲44頁)、その憲法上の制度が、それが基本原理とするところの「民主主義の理念および平等原則」に本来反していると言っているのです。このスタンスは、くだけた言い方をすれば「現行憲法制定時の政治的決断だから、変だけど仕方がない」というものです。法実証主義的にはその通りとしか言いようがありません。
 そしてこのスタンスは、暗黙の了解の内に脈々と現在に引き継がれていると思います。先ほど「雰囲気」と言ったのは、こうした状況を指しているのです。
 ところで話を戻すと、司法試験にまで合格されたdemocratさん(一応そう仮定します)が、このような状況を知らないはずがありません。また、「現行象徴天皇制が君主制か、非君主制か」という議論が、「何のためにそのような問題提起をするのか」ということと切り離せないことも、先刻ご承知のはずなのです。
 「非君主制説が少数説」かどうかは、「何のために非君主制説を採るか」ということと切り離せず、結論だけの多数決を取ることが無意味であると熟知しながら、「非君主制説が少数説」かどうかの情報の正確性を論難するのは、法律家としては、言葉はややきつくなりますが、「ためにする議論」でしかありません。それゆえ、ここまでこの議論に精力を使ってお付き合いされたS・T編集部員さんには、本当に敬意を表したいと思いました。
 憲法学者でさえ控え目に現行天皇制の具体的形態-世襲制が本来民主主義に反すると言っている(「象徴」のみの国家機関であれば、一部の大統領制のように選挙で選ぶこともありうるので、「具体的形態」と言っている)以上、「民主主義を徹底する」ことを目標とする政党が、これにどういう評価を以て臨むべきかは自明のことです。
 しかも、このような規範論理の世界ではなく、現実の階級社会を前提とすれば、天皇制は、用意周到に仕組まれたイデオロギー操作によって、人民支配の有力な道具の一つにされています。
 これに対して、「天皇制は憲法上の制度であり、憲法上天皇の権能は非政治的なものに厳しく限定されているから」という理由で、その廃止を政治的獲得目標に掲げないのは、法規範と現実の法制度とを混同するものであり、判断放棄以外の何ものでもありません。しかも天皇制は、1946年から現在まで、一貫して「憲法上の制度であり」、その憲法上は「天皇の権能は非政治的なものに厳しく限定され」続けているのです。61年綱領が前提としていた規範関係と、何の変更もありません。
 だから、「表現が不正確だった」というレベルの問題ではないのです。今年の綱領改定をめぐる議論のこの部分は、少なくとも法律をまともに少しでも勉強した者であれば、「何のこっちゃ」と一笑に付す性質のものです。
 ですから、私は不破さんのこうした発言を見て、「この人は、立法機関に長く在籍していながら、法解釈学のイロハを知らないか(法規は「解釈・適用」されることを当然に予定して「立法」されますから、立法者は、少なくとも法解釈学のイロハくらいは学んでいる必要があります)、又は、知っているのに事情に疎い一般国民・一般党員を騙そうとしているかのどちらかだな」と感じていました。
 上記記事やそれに引用されていた愚等虫さんの投稿で見る限り、democratさんの議論の仕方も、これに類するものを感じています。
 ですから、本当にお疲れ様でした(決して皮肉ではありません-念のため)。