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一般投稿欄

6/5 寄らば大樹の陰様へ

2004/06/07 樹々の緑 50代 会社員

 私の投稿の趣旨がほとんど理解できないということで、私の文章がまずいのか、 取りあえず簡単に再度申し上げます。
 私は、上記あなたの投稿で多数掲げられている事実は、その通りだと考えているの です。それを認めないのではありません。
 ただ、「人民の正当な代表者」だということに関しては、「国家」と「政府の正統 性」とを区別するという、国際法学の一般的原則に従って議論していることをご理解 下さい。したがって、あなたが

 国際的にも、国連でも、また今行なわれている6ヵ国協議でも朝鮮が 国として認められていること。

 と述べられていることに関しては、北朝鮮が事実上2つの政府の支配地域に分裂し ているとしても、中国のように「1つの国家」としてではなく、2つの「国家」とし て暫定的に国際社会に受け容れられていることはその通りですが、それと、当該政府 の正統性(正当性ではありません)とは別の問題だと言っているのです。
 あなたがいう「国」とは、「国家」のことですよね。「政府=政権」が変っても 「国家」は同一だという原則の下で、いかなる政権もその地域を「事実上支配し続け ている」だけで当該国家の代表資格を認められるのか、ということを私は問題にして いるのです。
 例えば、1979年のカンボジアのポル・ポト政権の崩壊とヘン・サムリン政権の成立 に当って、当時のイギリス政府がポル・ポト政権の承認を維持し、その後大量虐殺が 明るみに出た後で激しく非難された事例、同時期にウガンダで成立した政権を、今度 は素早くイギリス政府が承認したところ、要人の虐殺等の事実が後から明るみに出て、 やはり同様の非難が生じた事例などから、同国政府が以後「政府承認」自体をしない こととした経験からは、このように「承認」を回避しても、問題の本質であった「人 道的正統性」については評価が分れるからこそ、判断しない形で「実益」を取ったと 考えられるのです。以上、例えば筒井若水『新・資料 国際法基礎講義(1995年有斐 閣刊)』pp35~45などの資料があります。
 そこで当面の、北朝鮮の金正日政権についてですが、その人権抑圧的政治について の報道(いわゆる脱北者の発言を含む)などから、私はかなりの疑問を感じています。
 核兵器開発問題では、イギリスとコモンウェルス関係にあるオーストラリア政府が、 2002年12月末に北朝鮮との「外交関係の断絶」を検討したという事例もあります。 「政府承認」を回避する政策を採る場合、これは事実上承認撤回に等しい行為です。 ですから、国際慣行としても、いま揺れている時代ではないかと感じているのです。
 さらにまた、日朝両国人民の連帯と、日朝両国現政府の連帯とは、自ずと別の事柄 ではないでしょうか。小泉政権も、金正日政権も、それぞれ自分の思惑で行動するの だと思います。ただちょっと違うのは、小泉政権は選挙で負ければ瓦解するという意 味で、多少でも人民の意思を尊重せざるを得ないのに対し、金正日政権は、そういう ことはないのではないかという点です。
 これは長壁さんへの関連投稿の中で述べたことですが、私の問題意識からは、それ ではどのラインを以て「政府の正統性」を判断するのかという、社会科学と実定法学 の交錯場面での難しい問題が出てくると自覚しています。しかし、この点での判断を 放棄して安易に「実益」に走るのも問題だと考えているのです。
 ところで、私は、大樹の陰様が言われた第3番目や第4番目の「家族離散」が未解 決であることが、第1番目や第2番目のそれを正当化する理由となりうるとお考えな のかどうか、むしろ第3番目や第4番目の被害者の立場にあるからこそ、第1番目や 第2番目の無法行為は早期に自発的に解決すべきではないか、と考えているのです。 そしてそれができないのは、まさに多分そう考えるはずであろう北朝鮮人民の意向を 金正日政権が代表していないからだ、と考えているのです。その点への正面からのお 答えがないのは、なぜでしょうか。
 私は、あなたに質問しているのであり、あなたが「拉致事件は正当化できる」と主 張しているなどとは言っていませんよ。あなたの論法ではそういうことにならないの か、違うとすれば、それはいかなる論理によるのかをお尋ねしているのです。
 「人民を正当に代表する政権が世界にあるか」というご指摘ですが、前述の困難は ありながら、国際法的には「民主的政権変更可能性」が一つの基準になるかと思いま す。
 但し、前投稿での私の論旨で、「小泉政権が日本人民を正当に代表していない」と いう趣旨を述べたのは、論理の混乱でした。「政府の正統性」のレベルでの「代表」 と、現実の支配-被支配関係とは、明確に区別して論じるべきでした。
 運動の前進は、相当意見が違うと感じている相手であっても、取りあえず主張を整 理して、議論による弁証法的解明を通じてなされるのだと思っています。もちろん、 議論だけでは運動は前進しませんが、議論を回避する理由にはならないと思います。