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6/5 寄らば大樹の陰様へ 補足

2004/06/09 樹々の緑 50代 会社員

 事情があって、しばらく投稿どころではなくなったため、前投稿における6/5寄らば大樹の陰様への返答に若干の補足をいたします。
 北朝鮮と韓国は、1991年9月に国連に同時加盟しており、当時すでに日本は国連加盟国だったわけですが、そのことから直ちに、日本が北朝鮮を国家承認したとか、まして政府承認をしたとかの結果が当然に生じたわけではありません(この点については例えば、田畑茂二郎『国際法新講 上』(東信堂刊)84頁以下をご参照下さい)。だからこそ、現在でも日朝両国の「国交正常化」が当面する両国間の解決課題になっているのです。つまり日本にとって北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は未承認国家・未承認政府のままなのです。これは外務省に照会すれば簡単に確認することが可能です。
 大樹の陰様は、いわゆる6か国協議で同じテーブルに就いているから、という理由で、韓国や日本が北朝鮮を国家承認・政府承認しているように誤解されているようですが、それは違います。
 私は、このような状態は不正常であり、早期に「国交正常化」すること、すなわち現状における管轄領域を前提とする国家承認及び政府承認が、両国間の当面の懸案事項だと思っています。そして寄らば大樹の陰様が言われているように、大日本帝国による朝鮮人民への様々な加害行為(強制徴用等に伴う家族離散化・労働強制・従軍慰安婦化強制その他)の正当な謝罪・清算は、いわゆる日本人拉致問題とともに、当面する日朝二国間の解決課題であると思っています。
 問題は、その実現プロセスです。われわれ一般国民も、「詳しいことは解らないから、外務省、とにかくいいようにやれ!」と丸投げするわけには行かないと考えています。特に「真の変革の党」を運動として展望する場合、この点の解明は避けて通れないものだと考えています。
 まず、植民地支配・戦後補償やこれに関連する問題は、国家責任の問題ですから、これに国家承認・政府承認の問題をリンクさせずに解決することは困難だと考えています(謝罪だけを政府声明ですれば終りというのなら別ですが)。
 これに対して、拉致問題の解決は、人道問題であるので、国家承認・政府承認の問題に必然的にリンクさせなくても、解決に障害はないと考えています。もちろん、これは植民地支配・戦後補償問題が道義的意味で「人道問題」でないという趣旨ではありません。「人道問題」というのは、要するに国際法の諸原則の厳格な拘束を受けずに解決できる性質の問題だということに過ぎないからです。大樹の陰様が「性質が異なる」と仰有るのは、この点を指摘しているのだと私は解釈していました。
 さらに、問題解決に国家・政府承認の問題が絡んでくる場合、1965年の日韓基本条約第3条で、韓国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府である」と確認している点の処理を避けて通ることはできないと思います。もちろん、北朝鮮を国家として承認するならば、日韓条約のこの確認が第三国である北朝鮮を拘束するいわれはありませんが、現時点では、韓国政府も、北朝鮮を国家承認・政府承認していないので、韓国政府との間では調整が必要になります。
 このような、複雑な政治交渉と調整を必要とする「国交正常化」が日朝二国間の当面の最優先課題であり、その中の1テーマとして拉致問題も採り上げるというスタンスですと、拉致問題が単独で「人道問題」として解決できるというメリットは、ほとんど失われます。だから、そのような主張(それは日本共産党の公式見解でもあると思いますが)には賛成できないのです。
 なお、従来から私が強調している金正日政権の国際人権的正統性(これは私が仮に名付けたものに過ぎません)という問題は、いまの「国家承認」「政府承認」ということに関連して言っています。
 もちろん、フェアな議論のために言っておきますと、このように政府承認に何らかの「正統性」を要求する立場は、国際法学上はごく少数意見です。なぜなら、事実上の支配以外に何らかの条件を付加すると、相手国への内政干渉になりかねず、前投稿で示した事例で、イギリス政府が結局判断放棄したように、そんなことは一切考えないとしてしまうのが、実際上便利だからです。「承認」は各国の「義務」ではなく、各国が自国の政策に応じてなしうるとされていますから、「実益」を重視すれば、こうなるのが自然の勢いでしょう。
 しかし、人権規範が(国ごとの色合いは異なりながらも)国際的普遍性を持つことは、第2次大戦後の「世界人権宣言」を嚆矢とする国際的努力によって認められてきたことですし、少なくとも南アフリカの旧アパルトヘイト(人種差別政策)に関しては、国際的にもそれを理由として不承認とする政策が当然のように肯定されてきています。仮定の話ですが、ナチスと同じジェノサイドを国内でしていることが明らかな政権があった場合、それを無条件で承認してよいのか、ということです。「自国民を煮て食おうと焼いて食おうと、自国政府の勝手だ」とは無条件で言わせない、というコンセンサスを、すでに国際社会は有しているのです。第2次大戦の一つの重要な教訓だと思います。
 しかも、話を現実に戻せば、北朝鮮は、当事国を直接に拘束するとされている「国際人権規約B規約」の当事国であり、その19条2項には、3項による留保があるものの、「国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」の保障が謳われているのです。またその12条2項には、「すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる」と規定され、同条第3項における制限の留保許容条項でも、「1(国内移動・居住の自由保障規定-引用者)及び2の権利は、いかなる制限も受けない」とまず規定されているのです。
 これに照らして現状を見るとき、現在の北朝鮮政権は、国際法上自らも認めた人権規範を順守する義務を果たしていると言えるでしょうか。私は、その違背の程度は、ちょっとやそっとのものではない、深刻なものだと考えています。
 また、私が民主主義的正統性と言っているのも、これに関連します。
 すなわち、本来、大樹の陰様が仰有るように北朝鮮人民が日本の一般家族の離散を望むはずはないのに、それが人道問題として早期に解決できないのは、金正日政権が、北朝鮮人民を正当に(「正統に」ではありません)代表していないからではないかということです。
 確かに、現実の人民の意思が何であるかを確定することは困難ですが、政権が人民の意思を代表しているかどうかを間接的に判断する資料としては、当該国家で政治活動の自由がどの程度実質的に保障されているか、また、そのことによって、現実的な政権交代が、どの程度可能と言えるか、を見ることが大事なのではないかと思っています。「政府に文句を言う権利」が実質的に保障されていれば、一応、人民の意見を代表していると言えそうだ」ということです。
 もちろん、われわれの日本政府が、日本人民の意見を代表しているかと言えば、それはいろいろなバイアスがかけられ、政治的本質を隠蔽された形で代表しているとしか、言いようがありません。小泉政権が代表しているのは、政治的には日本の支配層であり、一般人民ではないと考えています。また選挙制度の度重なる改悪によって、政権の現実的交代可能性にも相当制限がかかってきています。しかし、いままでの論題である「政府承認論」のレベルで言えば、わが国は、一応他国から民主的正統性ありとされてよいのではないか、と思っています。
 要は、金正日政権は、このような意味では小泉政権ほどの民主的正統性も有しないのではないか、ということです。それで「専制君主と同じだ」と言ったのです。
 もちろん、政治形体が実質的に「君主制」であるかが問題なのではなく、民主的保障がないという点が重要です。私の知見の範囲では、ブータンは「王国」ですが、人民の根本的利益に合致した政治が行われている可能性が高いようです。
 話を元に戻すと、結局、日本人の拉致は、国際的無法行為であり、その原状回復は「人道問題」として日朝二国間で解決できる、それを、複雑な交渉と調整を要する「国交正常化」の枠組みの中でやろうとすると、結局解決は先送りされる危険がある、しかも、「国交正常化」に必然的に伴う政府承認に関しては、現金正日政権は、国際人権的正統性・民主主義的正統性の見地からは(仮にそれを認めた場合)、相当に疑問があるから、「国交正常化」交渉は、現地北朝鮮人民の根本的利益に合致するように、すなわち、彼らの政治的自由・離国の自由をより実質的に保障する方向に注意して、慎重に進めるべきである、ということになります。では、ちょっとの間、失礼いたします。