参院選の結果をうけて、若干、思うところを述べてみたい。
と言っても、ほぼ、マスコミの予想範囲であったので、私自身が、特に、驚くよう なことはなかった。ただ、自民は、改選議席から、僅か、「一議席」減であるにも拘 わらず、「これが総選挙であったなら、ぞっとする」との関係者の声が漏れてくるよ うに、衆院選シミュレーションなどで、民主・307、自民・131とも報じられて いることに、衝撃を受けている様子が窺える。(中日・7/13)
公明の協力にも拘わらず、10の重点選挙区は、結局、3勝7敗であった。また、 公明党は、1000万票を目指すことを公言してきたが、862万票と目標に大きく 届かず、また、昨年の総選挙で得た873万票にも達することができず、その限界が 見えてきた点は、確認しておくべきであろう。
こう考えると、原さんの案の、自公に「一泡吹かせる」という目的は、国民の意思 とも合致して、少なくとも「七分泡」くらいは吹かせられたのではないだろうか、と 考える。
そして、共産党は、斯くの如くの惨敗である。
> 志位和夫委員長は「現有議席をかなり減らすことになったのは残念だ」と敗戦の 弁。消費税率引き上げ阻止、憲法改正反対を前面に打ち出したことについては「(問 題を)提起できたことは意味は大きかったが、限られた時間の中では(有権者に)届 き切らなかった」と分析した。
2大政党化の流れについては「2大政党だけが選挙の主役だというやり方で土俵を つくり、他の党を無視するやり方は民主主義にとって大きな問題だ」と指摘。
ふむふむ。あるいは、おやっ、と思われた方も居られるかもしれない。
これは、今回の、参院選の敗北を受けての弁ではない。
昨年の、衆院選直後に報じられた発言である。
しかし、これは、今回の選挙結果についての弁と、驚くほど似ている。
また、中央委員会声明が、一日遅れの、7月13日に、ようやく出されたが、このこと自体、異常なことであった。
今回の発言を、報道などから見てみると、
> 志位和夫委員長は11日夜の党本部での記者会見で、「自民党も民主党も憲法改 悪と消費税増税で同じ流れにある。これを正面から批判して新しい流れをつくろうと 訴えたが、世論を動かすまでに至らなかった」と厳しい表情で語った。(毎日・ 7/12)
>「自民か、民主か」という「二大政党」の流れが強力につくられるもとで、私たち の訴えは、国民の世論を大きく動かすにはいたりませんでした。(中央声明・7/13)
> 志位委員長は「我々の方針、主張には確信を持っている」「これからも努力して 支持を訴えたい」と言葉少なに語った。
>市田忠義書記局長は「支持者に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と口にした。(朝 日・7/12)
>志位氏は党員、支持者らに「大変残念だ。申し訳ない」と謝罪の意思を表明した。 (共同・7/12)
しかしながら、責任問題については、
> 常任幹部会として、その責任を痛感しています。(声明)
と述べてはいるものの、
>「2大政党制に対抗し、本当に国民が中心になった新しい政治の流れをつくること が重要であり、それが私の責任と考える」と述べ、進退問題発展を否定した。(共 同)
ということであり、声明の中では、いつもの如く、何も触れられずじまいであった。
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言いたいことは、山ほどある。しかし、今は、また、纏まりのない文しか書けそう もないので、別の機会に述べたいと思う。
ただ、一点。元外務官僚の天木直人氏の言を引用させて頂くことにしたい。
> 共産党は大敗した。私は「共産主義」というイデオロギーを別にするならば政策 的には共産党に一番の好感を持っている一人である。
既存の政党の中では一番庶民の立場に立った政策を訴えていると考える。年金問題、イラク戦争、憲法堅持どれをとってみても正しいことを言っている。
それにもかかわらず今度の選挙で国民の支持を得られなかったのは何故か。共産党幹部はこのことを深刻に受け止めなければならない。
イデオロギーに縛られた硬直性と党幹部の強い締めつけから解放されない限り国民はついていかないであろう。
私は、政策的にもっとも共産党が正しいことを言っていると評価している元保守官僚である。
私と同様の見解を持つ国民も少なからず居るであろう。「脱イデオロギー」の要請に共産党は耳を傾けるべきである。 (緊急発言―参院選挙をどうみるか・天木氏HPより)
「脱イデオロギー」という呼び方で、一括りに「問題視」するのであれば、“民主主義”もイデオロギーである。
天木氏がどのように「共産主義」というものを捉えているのかは、私には判らないが、“民主主義”というイデオロギーまで、「脱イデオロギー」しろ、と言う訳ではあるまい。
しかし、このことは、置くとしても、私は、その他の部分については、ほぼ、同意
する者である。
このような人々から、何故、支持を得られないのか、よりよい社会を求める国民と
の統一戦線を大事にしたいと考えている党員までもが、何故、離れつつあるのか、中
央は、本気で考えてもらいたい。
>「他の政党の代表と同じように引責辞任すべきだ」(党本部関係者)と責任を問う 声も漏れており、
という、上記、共同通信の中の記事も目にした。(7/12)
党中央は、もう、これ以上、私たち、一般党員に、全く無駄なエネルギーを使わせ
るのは、やめて頂きたい。
なんで、このような事を、延々と言わしめるのか。
「自分の党さえ、民主化できないのに、何が、国民が主人公だ」と言われ続けてき た、現場の党員・支持者たちまで、このままでは、疲れ果て、見限っていくことにな るという事を、そして、もう、取り返しのつかないところまで来ているのだという事 を、党中央は、本気で、覚悟しておくべきであろう。
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フィカスさんへ。
こんにちは。
私の拙い「感想寓話」をお読み下さり、また、過分な評価を頂きまして、有難うご
ざいます。
一つのものごとに対しても、人によって、いろんな見方はあるだろうと思います。
人間は、神様ではありませんから、何が、あるいは、どれが正しいのかを、判断す
ることは難しいことです。そのためには、相手の方や他の人々の意見をよく聞くこと
が、やはり、一番、大事であり、それが、民主主義というものの基本であると思いま
す。
静かな公園の近くに越してきた「俺」が、夜勤明けに、選挙演説によって、「安眠
妨害」されたとすれば、不機嫌になるのは当たり前の事でしょう。
シュプレヒコールの声もうるさく感じる人もいるかもしれません。
しかし、これらを禁止して、一時的に「平穏」が訪れたとしても、より大きな自由
に対する侵害が起こるとすれば、取り返しのつかない事にもなるでしょう。
先の大戦の際にも、戦争が始まる前には、いろいろな自由や権利の制限が行われま
した。
何度も語られてきた、
> ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自 分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者で なかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにい つも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。
という、「なぜナチスを阻止できなかったのか-マルチン・ニーメラー牧師の告白 -」(丸山真男『現代政治の思想と行動』未来社)は、あまりにも有名です。
私は、シュプレヒコールを上げる側の人間ですが、公務員にも政治活動の自由・争 議権が保障され、100万、200万という人々たちがデモをやるヨーロッパの国々 の方が、サービス残業や、まして過労死などという言葉さえなく、十分とも言える 程、長い夏季休暇をとる事が法律で定められ、人間らしい生活をしていることなどに ついて考えてみるに、やはり、権力者のやる事は、国民がしっかり監視しておかない と、いろんな面で、酷い目に合うものだということを、しっかりと教訓として覚えて おくべきだろうと思います。
「茶色に守られた安心、それも悪くない」という「茶色の朝」の中の言葉に、今の 日本の「空気」を感じています。
でっかく考え、そして地道に、やれる事をやって行きましょう。
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お読み下さいました皆様、有難うございました。