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棄権しないことにしました

2004/07/09 天邪鬼 60代以上 画家

 まーしーさん、原さん。愚羅虫さん
 ぼくはいろいろな人に棄権しないように説得されて投票所には行くことにしました。 棄権なんか意地を張るほどのものではないからです。
 政治家ならぬ、政治屋の名前を書き出された立候補者名簿を見上げて、投票用紙を 持った腕を組みながら考えることでしょう。しかし投票所に行くことだけはするつも りです。
 本当は共産党に入れたかったのです。
 しかしイラク戦争以来の党を思い返してみるとき、許せない思いを重ねさせられて きたし、有事法成立においてもなにをしていたのでしょうか。ぼくはその都度煮え湯 を飲まされてきたように思います。日本共産党は全心全霊を込めて反戦平和のために 戦かったのでしょうか。ぼくは末端党員が一生懸命に反戦のために戦ってきたことを 疑いません。しかし党中央は彼らの良心を一つのエネルギーに結集する努力をしてき たのでしょうか。戦争に反対した党だよというアリバイ作りしかしていなかったので はないですか。
 議会主義のみに専念する党は、ぼくたちにとって党は屁のツッパリにもならなかっ たと思います。。院外闘争を徹底的に怠り、院内では数で押し切られることがわかり きっている。その議会でのみ戦うといういいかげんさに愛想もクソも尽きたのでした。 どんなに国会に議員を送り込めたとしても共産主義者の戦いは、院外闘争にあります。 院外闘争が院内闘争を助けるのです。それが基本中の基本であり、いまの党は逆立ち しているのです。
 考えても見て欲しい。60年安保のときの日本共産党の国会議員は衆議院では川上 貫一、志賀好雄の二人、参議院には野坂参三しかいなかったのです。志賀も野坂も除 名されたにしてもだ、たった3人の国会議員しか持たない党が、歴史上最大の闘争の 中心的役割を担ったということを忘れてはなりません。そして党員数はいまの12分の 1の4万でした。いまよりもっともっと困難な時代でした。レッドパージ以降の凄ま じいアカ攻撃は人々の中に染み渡りいまの比ではなかったのです。
 院外闘争がどれほどに世の中を動かすかをなぜ否定できるのでしょう。それとも大 衆闘争の高波を共産党が恐れているのでしょうか。
「憲法改悪、来るなら来い、」これは人民が権力を握る絶好のチャンスなのです。こ の反動を逆転する最大のチャンスが来ようとしています。ぼくたちは憲法改悪を恐れ てはいけないのです。世論なんか大衆闘争の高揚によって簡単にひっくり返ります。 それは体温計に過ぎません。
 しかし党がこの議会主義にまみれる方針をとる限り人民が自ら立ち上がらない限り、 日本中に軍靴の音が響き渡り、アジアへの侵略戦争へと突っ走っていくことは自明の ことです。イラク反戦運動が地を這うように進んでいます。この戦いが改憲反対の高 波へと膨らんでいくのです。時代は静かに押し寄せる波に引き上げる波を集めて海面 を大きく持ち上げ、やがて怒涛となって砕けるでしょう。時代は高揚期を迎えようと しています。党が大衆を信じられないならば大衆が指導部なしに直接民主主義を行使 する以外にないでしょう。ぼくはそのつもりでいました。
 党が大衆に乗り越えられる経験は東欧社会主義、ソ連邦崩壊以外にいくらもありま す。党がその名称にあぐらをかいていられる時代はもう終わるでしょう。キューバ革 命での共産党の惨めさは言う言葉もありませんでした。
 赤嶺議員は代表質問で国連統治までの米英軍駐留を認めたではないですか。人民の なかにイラク戦争反対が強まればしんぶん赤旗は反戦色が強まり、それが静かになる とイラク問題の記事が小さくなる。
 選挙戦こそは絶好の政治闘争であったのです。この選挙では年金問題を声を大にし て取り上げているがイラクは消えてしまっている。これは自民党の利益誘導選挙と似 たようなものです。是々非々主義なんですよ。彼らにとって議会が身を隠す穴になり ます。
 そりゃ-、ガス抜きの集会ぐらいはするだろうが結局は肝心要(かんじんかなめ) で裏切るだろう。この一年余りがそうであったならばのちの1年もそうでしょう。共 産党が改憲阻止をする防波堤の役割を果たすと信じることが出来なかったのです。
「共産党に入れなければ憲法はどうなるの」といわれているが
「いれればどうなるの」と反問したくなります。
 それらが見えているから共産党に入れられないのです。そのような幻想にはもはや とらわれないつもりになっていたのでした。共産党を除けば社民党と緑の党以外にな く、ぼくの地方区に社民党がないのです。
 問題はこうなのです。日本共産党が改憲に対して、文字通り、「どんな手段を使っ てでも阻止する」という決意があるならばためらわずにぼくは党に一票を入れるだけ でなく、党のために選挙運動をしただろうということです。