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裏切りとは何か

2004/07/28 阿Q 50代 自営業

 今日、日刊ベリタでこのサイトを知って、初めてのぞきました。

 最初に党員の投稿コーナーを読み、どれもこれも悲痛な叫びや怒りを表明している ことに驚きました。

 次に部外者のコーナーを見て、色んな人が色んな(のんびりした)ことを言ってい ることに、また驚きました。

 このサイトは、今のネットでは例外的に真剣な、建設的なものだと感じますが、だ とすれば、そこに投稿する部外者も、内部の人たちの苦悩を共有する努力をして、そ れにかみ合った発言をすべきではないでしょうか?

 「みんなが幸せになれるように」みたいなふやけたことを言っている場合ではあり ません。「幸せとは、権力者と同じ事を叫び、自分の子供を元気で戦場に送り出すこ と」と定義されるような時代が、目の前にきている。これを「そんな、バカな」と笑 える人を説得するほど、私は気が長くありません。もしもそれを現実のものと感じる 想像力と、歴史的文脈で現在の政治を見る眼を持っている人なら、「のんきな希望を 語っている時ではない」と痛感しているでしょう。その切実な気持ちを、内部の人も 外部で関心を寄せている人も、共有すべきだと思います。

 私はかつて「裏切り者」と呼ばれたことがあります。しかし私はその前も、またそ れから30年たった今でも、全く変わっていません。そう呼んだ彼らと私が違ってい たのは、私が自分個人の疑問やものの考え方を抑えることができなかったということ です。

 私は自分の信念を曲げたくなかったから、他人の人生を左右するようなこともした くありませんでした。だから、人の人生を変えさせるような「指導」を散々した末に 運動から離れて、ある日突然マイホーム主義のパパの顔を見せるような、そんな「指 導者」と同じようなことは絶対にしたくないと思い、指導的な立場に立つことを避け ました。(それは要するに、基本的な路線や方針に、私がどこか疑問を持っていたと いうことでしょう)

 私はこれまでの自分が愚かであったこと、またいい加減な人間であったし今でもそ うだということを、自覚しています。しかし「裏切り者」という非難は軽蔑とともに 拒否します。

 裏切り者とは、自分が他人に押し付けたドグマを信じた人たちが、それが現実と違 うことに気付いて打ちのめされている時に、その苦しみを理解しようとせずに置き去 りにする者のことです。

 私は20数年前、不破氏や立木国際部長などが東ヨーロッパへ行くたびに、「赤旗」 にあの国々の社会保障の「充実ぶり」を称えるレポートを寄せることを批判する手紙 を、党中央に出しました。国民の権利が大幅に制限され、消費生活もかなり不自由な 国で、社会保障の充実はその「優位性」を示すものではなく、国民の不満を抑える唯 一の手段だったのではないか、と思ったからです。その他、ソ連圏に関する様々な批 判を書きました。

 80年代の終わりから90年代にかけての東欧の激動は、私にとって大変な驚きで したが、変革が平和に行われたことを喜びました。しかし自分達が建設した社会が人 類の希望を代表するものと信じていた人たちにとって、その崩壊はどれほど信じがた く、つらいものであるか。それを考えると私もつらくなりました。

 それで知り合いの共産党員への手紙で「悲しいことです」みたいなことを書きまし た。その男は「こんなことでおたおたしてはいけません」みたいなことを書いてきま した。私がこの問題を長い間どれほど考えてきたか、何も知らずにえらそうなことを 書いてくる無神経に、呆れました。

 私は、あれほど急激にバタバタっと崩れるとは夢にも思わなかったけど、ソ連・東 欧圏がそのまま続くはずは無いと思い、破局を予想していたのです。そんなことを全 く考えなかった人間が、あの人類史的な重大事件を「たいしたこと無い」みたいに片 付け、それによって人生が否定されたと感じた多くの人々の気持ちを少しでも理解し ようとする姿勢も示さずに、平気な顔をする。理想を裏切られた人々の絶望、苦しみ を、ほんのわずかでも感じようとする共感の能力、人間らしさ、誠実さを全く欠落さ せている、こう言う人間が主流をなす組織こそ、「裏切り」と呼ぶべきではないでしょ うか?

 こういう、現実から学ぼうとする謙虚さのない、無神経で思い上がった党員を排除 して、投稿コーナーで危機意識と悩みを表明している人たちの気持ちを大切にするこ とが、中央にも、また関心を抱く部外者にも求められていると思います。