大樹の陰さん、「国連憲章第1条を読んだことがありますか」というくだりに
だけ、特別に反感を持たれたようですが、私の7/6付投稿の冒頭でも明示したよう
に、私自身も、現在の国連のあり方に多大の疑問を持っているわけで、だからこそ、
特に「実のところ、日本共産党が支持してやまない『国連』でさえ、5大国の拒否権
を始めとする基本的に不平等な意思決定体制を持つ限り、そう簡単に『国連決議に従っ
て』ということもできないと考えています。したがって『多国籍軍』についても、全
面的に支持しているわけではありません」と述べていたはずです。イラク攻撃や、
「多国籍軍」によるイラク占領についても、同じ箇所で疑問を述べています。
何れも、あなたが気にされている箇所よりもずっと前の部分です。
おそらく、「言葉の過激さの度合い」を除けば、国連や今回のイラク戦争に対する
認識に、あなたと私の間に大きな隔たりはないのではありませんか。
では何が問題かというと、結局私の意見が「国連や国際条約を『逃げ道』にして論
陣を張っている」のかどうかということになるでしょう。
その際、一体大樹の陰さんが「逃げ道」という表現で何を指しているのかも、問題
とされるべきでしょう。
少なくとも、大樹の陰さんは、私の主張の全体を読み、その中で国連憲章や国際人
権規約がどのような目的で引用されているのかを、誠実に検討して下さっていますか?
私の議論は、「組織論と運動論」に掲載されているさつきさんの7/11付投稿を
見ても、どうも難解だと思われているようなので、本人としては困っているのですが、
あえて再言します。
私が国連憲章や国際条約(特に国際人権規約B規約)を引用しているのは、日本と
ともに、北朝鮮自身もこれに加入している「当事国」だからです。私自身は、国際人
権規約当事国でない(最新のデータがないので、間違っているかも知れません。少な
くとも天安門事件当時はそうでした)中国における国内的人権抑圧であっても、同じ
主張は十分可能だと思っていますが、とりあえず、国際法について極めて保守的な論
者であっても、条約当事国同士の問題であれば、文句なく言論による批判を是認する
だろうと考えているからです。
すなわち、北朝鮮は、国際人権規約B規約を自ら受け入れて当事国となり、その12
条や19条で、自国民に「離国の自由」「国内向け・国外向けを問わない情報伝達の自
由」を保障すると、国際的に約束しているということです。だから、それに著しく反
する事態を、他の当事国民である日本国民が言論によって非難することは、北朝鮮人
民の自決権に何ら干渉するものではないと申し上げているのです。
大樹の陰さん、あなたが標記投稿の最後近くで「小泉政権を倒すのが私たちの権利
であるように、金正日体制を倒すのも朝鮮の人々の権利なのです」と言われているこ
とを、私は否定しているのではありません。
このあなたの主張は、少し難しい言い方をすれば、民族自決権尊重の主張になるの
です。そして民族自決権が尊重されるべきことは、国連憲章第1条第2項でも「国連
の目的」として明記されている程に、あなたが反感を持つ国際組織でさえ認めている
事柄です。けれども、これとともに、「人権の国際的保障」という課題も、国際社会
で共通に是認されている正当な課題なのです。あなたも、このこと自体に異論を唱え
ているわけではないでしょう?
そしてあなたがいう、「金正日体制を倒す」理由の中に、自国民に対する当該政権
による極度の人権抑圧があるとすれば、他の国の人民も「北朝鮮の人民頑張れ!君た
ちの人権尊重の主張は、周りの国の人民も支持しているぞ!」と、言論で応援するこ
とは当然だと、私は言っているのです。
それをことさらに「他国の人民がとやかく言うべきことではない」と批判されるの
は、こうした世界的な支持の表現まで、否定される趣旨ですか?
1960年代までは、こうした他国の国内政治に対する批判は、内政干渉だとされ、特
に当時の社会主義諸国からは、「民族自決権に対する重大な侵害だ」とされる傾向が
強かったことは事実です。国際人権規約が国連総会で採択されたのも1966年12月のこ
とですから、これらの第1条に、「人民の自決権」が謳われていることも、主に当時
の社会主義諸国の要請を受け入れて定められたという経緯を考えると、良く理解でき
ます。
しかし今では、これら社会主義諸国による民族自決権尊重の異常な強調が、実は国
内の圧政を他国の批判から覆い隠す防波堤の役割を果たしていたことは、あまりにも
明白だと思うのです。その現在の時点に立って、なおかつ「他国の人民がとやかく言
うべきことではない」と強調すれば、結局喜ぶのは、圧政を布いている当の政権担当
者だけです。大樹の陰さん、あなたはそのような結果を望んでおられるのですか?
このような、国際世論による後押しは、当の北朝鮮人民が極度の政治的弾圧下にお
かれ、しかも飢餓に苦しんでいるために政治活動を十分に組織できないときには、そ
れなりの重要な役割を果たすのではないかと、私は考えています。ですから、このサ
イトで紹介されていた大阪摂津の在日組織の声明だとか、金国雄さんの非常に控え目
な指導も、本当に参考になっています。
この日本国内でも、朝鮮学校生に対する理不尽な暴行・暴言に対して、何ができる
かと考えています。学生時代には、留学同の学生代表とも話したことがありますが、
当時すでに「主体思想は現代のマルクス・レーニン主義が到達した最高の思想である。
なぜなら、主体思想は、マルクス・レーニン主義に基づき、それを現代世界に適用し
た最高の思想だからである」といった感じの説明に、辟易した経験があるので、「こ
れは大変だな」とある意味で同情しておりました。
高校時代に、金達寿『玄界灘』を読み、大学時代に李恢成『約束の土地』を読んで
感動した人間としては、そしてまた、卒業後も、周りの強欲な日本人からいじめられ
ながら、何とか事業を進めようと頑張っている在日の中小企業家を見ていた人間とし
ては、亡くなられた三浦綾子さんが訪中したときに、当時の政権担当者との面談の席
上でまず跪いて、太平洋戦争における数々の加害行為を謝ったという話を聞いて「そ
うなんだよなぁ」と感じた人間としては、いま、この日本国内で何ができるかが大事
だと、常々考えているところです。三浦さんの謝罪の気持ちの表現方法が、適切だっ
たとは必ずしも思いませんが、私は、ちょっと表現しにくい不思議かつ複雑な感情が
湧いてきて、未だに在日の人とまともに目を合わせて政治的な話ができない体たらく
です。
しかし、だからこそ今回の拉致問題についても、本当に筋の通った解決を図らねば
ならないと、確信しているのです。そしてその「筋」は、残念ながら、大樹の陰さん
が言うような「被害者の数、被害が放置された期間を考えれば、拉致問題の解決より
も国交正常化による第2次大戦の清算が先でなければならない」というものではない
のです。
日朝国会正常化と拉致問題解決の関係については、済みませんが「組織論と運動論」
欄に投稿した7/9付の私の投稿をご参照下さい。
私がそこで言っていることは、要するに、拉致被害者に対する国民的共感は当然の
ことであり、また、解決課題としても、国交正常化交渉の付属・従属物などではない
ということです。またそれは、仮に日本国民の中に、1910年以来の植民地支配や第2
次大戦での数々の加害行為の責任について無頓着な者が多かったとしても(私自身は
そうは思いませんが)、それを理由として、拉致問題の独自の解決が否定されること
にはならない、というものです。むしろ、拉致被害者の心情に共感することを通じて、
強制連行・強制労働・慰安婦化強制をされた人たちの心情に「思い至る・思い当たる」
ことも、運動の進め方によっては十分可能であるのに、「ゆでがえる状態にある日本
人民に、拉致問題の解決を語る資格はない」ということによって、その可能性を自ら
閉ざし、逆に反発を買うことは、日本の政治を民主主義的に変革する上でも、著しい
マイナスだと言っているのです。
寄らば大樹の陰さん、あなたが主張してやまない第2次大戦の清算は、「日朝国交
正常化」という、紛れもない国際法的行為なのです。たまたま私が、少し国際法の勉
強の経験があるために、みなさんには難解な議論をしてしまったようですが、こうい
う議論自体は、外交官僚に丸投げしてはいけないと思っています。それは、ちょうど
さつきさんと大歩危さんらの議論が、相当専門的内容に踏み込んでいると思われるけ
れど、絶対に必要だと思われることとまったく同じです。
と同時に、ヴァイツゼッカードイツ元大統領が言ったように、「過去に目を閉ざす
者は、現在にも盲目になる」のです。ナチス・ドイツが、一見極めて合法的に、国内
のユダヤ人を虐殺し・その人脂から石鹸を作ったように、「国境の垣根を越えても護
られねばならない人権がある」というのは、第2次大戦後の国際社会の共通の確信で
す。国際社会には、国連を始め、国家の上に立ついかなる合法的権力も存在しません。
そこで、各国が対等な立場で、人権を護るという内容の条約によって約束し合い、相
互に監視しながら、国ごとの色合いは異なりつつ、人間が人間として尊重されるよう
にして行こうというのが、人権の国際的保障の趣旨です。
この日本政府も、国連人権委員会から人権状況について批判されていることが少な
くないのです。
大樹の陰さんにも、こうした国際社会の努力を正面から見据えて、これを気分感情
で否定することがないよう、願ってやみません。