どういうお気持ちでかわかりませんがlafmaninovさんが、私の主張 するところの人間性について、言及されたので、もう少しだけ人間性について話した いと思います。
人間は、明らかに動物です。したがって動物としての限界があります。睡眠もとら
なければならないし、食事もしなければならない。
大病もするし、事故もおこす。自分一人でなく家族の問題もある。仕事もあるし、
たまにはれレジャーもしたい。もちろん恋愛もしたい。
そんなことを全部話し合った上で世の中をよくしていくにはと、
昔は話し合っていたものです。
いつのころからか、そういう生きた人間像は捨象されてしまって数を追うだけの指
導がまかりとおるようになりました。
拡大何部、カンパ幾ら、そういう数には、人間像は付随していません。じゃ、それ
は誰が目標を達成するのか。多くは党員が自腹を切って払うしかしかたないでしょう。
次第にくらい気持ちになって行きます。他人のことなどかまっていられないという神
経にもなって行きます。票を入れてくれる人、カンパをくれる人、新聞をとってくれ
る人だけが評価の対象になります。
物事には、可能性ということがあります。今は票もカンパも新聞もとってはくれな いけれど将来は、協力してくれるかも知れないという人々を切り捨ててしまいがちで す。
人間性というと、漠然としたひびきがありますが、人間の特性とでもいえばいいか もしれません。それぞれの生き物には特性があります。特性を無視して同じ扱いをし てはいけません。
植物はおおむね水をやっておけば間違いなく成長するようですが、シャボテンなど は、水がきらいなようです。おしつけの親切ではなく、相手が望むものをあげるとい うのが、本当の愛ではないかと思います。そのためには相手をよく知らなければなら ない。普段の話し合いが大切と思います。腹を割った話し合いこそが大切と思います。
lafmaninovさんが、以前(裏切りとは何か)の中で信念が変わることは、
裏切りではない。と言われましたが、私もまったく同感でした。信念がころころ変わっ
ては困りますが、間違っていたと解ったときに信念を変えることは、勇気の有る行動
だと思います。
相手の信念を変えさせる事の出来るような話し合いを持ちたいと思います。もちろ
ん、自分のあやまちを指摘してもらえばこんな有り難いこともないわけです。でも、
自分の過ちを認めるときは正直言ってくやしいですね。それも人間性でしょうか。