関西電力美浜原子力発電所3号機の事故に関連して私見を述べます。
この事故を報せるニュース速報では、関電からの情報により、復水器の「蒸気漏れ」と伝えられましたが、実際には蒸気の「漏れ」などではなく、復水器から出てくる冷却水配管本体の破裂損壊による高温熱水の爆発的な噴出と気化で、タービン建屋の全域が高温蒸気の地獄と化したことが明らかになりました。「蒸気漏れ」とは、人間で言えば、心臓から血液を送り出す大動脈が破裂したのに「血液が漏れた」と表現したに等しい誤りです。「蒸気が漏洩し、3人が負傷」との第一報を受けて駆けつけた敦賀美方消防組合の消防士は、爆発現場のようだったと証言しています。
初日に公表された、損壊箇所の写真は、配管の下に垂れ下がった鋼材の一部が写されたものばかりで、核心部分が意図的に隠されているとの非難の声も上がり、翌日になって初めて破損個所全体を示した写真が公表されました。美浜町民に広報されたのは事故から30分後です。検査の必要性も指摘されていたのに放置してきた。原発産業は、かくもいじましい体質を持っている。醜いとしか言いようがありません。
破裂した配管の先は原子炉格納容器内へ連結されています。こうした冷却系統が損壊したら最悪原子炉がメルトダウンを起こす危険性があるので、これを防ぐために自動的に制御棒が投入され、核反応がストップする仕組みになっています。今回はこれが作動して事なきを得ました。「事なきを得」なかった場合は「チェルノブイリ」になります。二次冷却水は三系統あるので、ECCS(緊急炉心冷却装置)が作動する事態にまでは至らなかったようです。もし、今回のような事故が沸騰水型の原子炉で起こったなら、放射能を帯びた高温熱水の洪水に見舞われたことになります。我が国の原子炉の半数は沸騰水型です。
同じ美浜原発の2号機の方は、1991年2月に蒸気発生器内で一次冷却水が循環するSG細管にギロチン破断が起きて、放射性物質を含んだ一次冷却水が二次系統へ漏れて、これが外部へ放出されるという大事故がありました。二次系統に比べて一次系統の方が圧倒的に圧力が高く、これが繋がったために、二次系統の圧力逃がし弁が作動したようです。この時は国内の事故として初めてECCSが作動しました。
2001年3月には台湾で、日本から輸出された第三(馬鞍山)原発で深刻な電源喪失事故が起こりました。この時は、先ず、原子力発電所に電力を供給する変電所からの高圧電線が塩害でショートして停電状態となり、冷却水循環ポンプがストップし、ついで非常発電用ディーゼルの起動に失敗し、ECCSが作動しなくなり、 炉心で冷却水が沸騰するという大事故に発展しました。今回の美浜原発の事故に際しては、台風も地震も雷もなく、たまたま多重のトラブルは避けられたようです。
何重にも安全装置を施してある筈の原発で、なぜこのような事故が頻発するのか。その答えは簡単で、人が造ったものだからです。多くの自然物同様、人はポアソン分布に従った確率過程において「ふらつき」、そのせいで過ちを犯します。間違い電話、単純な問題への回答ミスなどと同様の過程を経て、交通事故は起こるし、飛行機もロケットも落ちる。防護策を多重にすることで、装置の部品点数が増え、その中に欠陥部品が紛れ込む確率も高くなります。真摯な反省と入念な対策でミスのおこる確率を減らすことはできるが、決してゼロにはできません。運の悪いことに日本の原発産業は金まみれのウソつき体質なので、真摯な反省など期待できません。「ウソつき」の実例なら、私のような者でも、たちまち30例ほどをあげることができます。
もし原発が絶対に大事故を起こさないものなら、送電時の電力ロス(数十%)をなくすために、東京や大阪などの大都市に原発を建てれば良いのです。かっては大都市の殆どは革新自治体だったので、あらゆる原発への反対運動が強く、それは不可能でした。石原都知事にせまったらどう答えるでしょうか。大規模な事故なら、日本全土が被災するが、短期的・致命的な被害は原発周辺に限られる。その時の人的リスクを考えると、田舎に建てた方が良い。幸い、田舎の自治体は金(電源交付金他)を欲しがっている。これが現在の原発立地の論理なのでしょう。田舎者はバカにされているのです。役所広司主演の映画「東京原発」は、この問題を正面から捉えているようです。
今回の事故は、日本で初めての原発建屋内での死亡事故とされていますが、長期間を経て人知れず被曝死している孫請け零細企業の作業員達のことも忘れてはなりません。原発は地球に巣くった癌です。一部先進国の病巣であったのが、いまやあちこちに転移しつつあります。