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K・I さんへ -原水禁運動の統一のために-

2004/08/13 原 仙作

K・I さん、はじめまして。
  K・I さんが、「一致点にもとづいて共同開催してください!」というのは、原水禁運動に参加するすべての人の長年の願いでした。私も、ことのなりゆきで原水協の運動に参加していました。日本の場合、歴史的な原因が様々あって、残念ながら、運動が分裂していることが多いのです。その結果、国民の民主主義運動が弱体化させられています。原水禁運動の場合でも、あなたが言われるような事態になっています。
 では、どうするかです。私の思うところでは、統一の鍵を握っているのは共産党なのです。

 ことのいきさつ(争いのポイントは簡略に「現状分析と対抗戦略」欄に書きました。)を書くと長くなるので言いませんが、比喩的にいえば次のようになると思います。あまり仲の良くない両人が仲直りのために夕食のテーブルについたものの、メニューが気に入らないといって、一方がテーブルをひっくり返したのです。テーブルをひっくり返したのは共産党です。これが1962年から1963年の時期です。以後、何度かの統一の動きがありましたが、総評が連合に合流するとか、社会党が崩壊して社民党になるとかいう時期を経て、原水禁の側の運動は原水協よりずいぶんと小さくなってきているはずです。
 仮に現在、原水協の側が過去を水に流して合流しようと呼びかけても原水禁の側は決して応じないでしょう。その理由は、合流すれば組織力の大きい原水協に吸収合併されるという問題もありますが、それ以上に、テーブルをひっくり返された側の恨みが骨髄に徹しているからにほかなりません。しかも、真実は彼らの側にあったのですから、なおさらのことです。だから、共産党の側が条件をつけずに合流しようと呼びかけても、それだけではだめなのです。

  この関係はいじめる大国といじめられてきた小国の関係にもたとえられます。いじめてきた大国が過去を水に流して一緒になろうと呼びかけても、それではだめであるばかりでなく、マルクスの党であるなら誤りでもあるのです。いじめてきた大国は小国に謝罪と大幅な譲歩をしてはじめて小国の骨髄に徹した恨みを溶解させることができるのです。いじめてきた方はいじめをすぐに忘れますが、いじめられてきた方は決して忘れはしません。 『経済』(新日本出版)1月号に上田耕一郎と鶴見俊輔の対談が載っていますが、以下のようなくだりがあります。

鶴見 「戦後になって、『赤旗』とか『前衛』で繰り返し悪口を言われるようになってから、いくらか考えるようになった(笑い)。」 上田 「そんなに、何度も批判してますか。」 鶴見 「いやぁ、数えてごらんなさいよ(笑い)。」(23~24ページ)

 この会話には上田と共産党の無惨さが鮮明に示されています。鶴見は自分個人のことだから、達観した笑いですませていますが、これが組織ということになると、笑ってすますわけにはいかないのです。分裂そのものが極度の重荷となって日々の活動を苦しめているからであり、その苦しみを原水禁の活動家は日々肌身に感じてきたからです。忘れるにも忘れようがないのです。

 このようなわけで、過去の行為にたいする謝罪と、合流条件での大幅な譲歩が不可欠なのです。大衆運動で、これができない党はマルクスの党ではありません。他の諸党ができなくとも、マルクスの党だけはできなければなりません。これができない党であれば、たとえ綱領を社会民主主義の綱領に変えたとしても、共産党が国民の多数を結集できる党に成長することなど決してできません。
 共産党の今日の凋落を見れば明らかなように、現在の活動とともに過去の大衆運動における誤りの反省、清算が求められているのです。
 過去の経過を顧みて、統一を求める国民の願いを実現するためならば、どんな条件でものむというほどの精神に立たないならば、統一はもちろんのこと、多くの国民の共感を得ることもできません。原水禁運動の一方の担い手と手を携えることができない党に、複雑で重畳たる国民諸階層と手を携えることなどできるはずがないのです。だから、原水禁運動の統一問題は共産党が再生できるかどうかの試金石にもなっているのです。私がここに書いた共産党への提案は共産党中央が決断すれば、明日にでも統一へ向けて動き出せるものです。

 K・I さん、ネット上で「原水禁運動」という用語などで検索すれば、沢山の議論を読むことができます。それらを読んで、双方の主張と経過をつきあわせ、真実を探し出す努力を惜しまないでください。
 参考までに一例をあげると、ネット上で原水禁と原水協のサイトを見ることができます。原水禁のサイトでは、創立時(1965年)の運動方針(「基本原則」)が今も掲載されています。一方、原水協のサイトには古い資料は一切掲載されていません。これは一体何を意味するのでしょうか?  こうした事実を含めて、あなたのような若い人たちが真実を探し出し、大論陣を張るようになれば、かならず事態は統一へ向けて動き出すようになります。
 来年は60周年です。来年こそは統一世界大会をみたいものです。