1基本的立場
私の立場は、社会民主主義(マルクス主義もある程度許容する)なのだと思います。だから、本サイト「さざ波通信」運営者の原則的立場からすれば、「右傾化」「右派」に属する、ということになるでしょう。「ある程度許容する」と言っても、マルクス主義の大部分は、もはや有効性、生命力を失った、と思っていますので。
不破共産党が「なし崩し的修正」による「右傾化」を行ってきたことは、確かに「抜本的改革」と言えると思います。しかし、民主集中制を堅持したままで、しかも、ご指摘のように、下部からの党大会開催の道を閉ざすなど、集中制を強化しており、「改悪」とも言える状態です。最も肝心な部分で「改革」が行われていないのが最大の問題だと思います。
現在の「なし崩し的修正」路線、あいまい路線は、従来からの原則的立場の人々も、もはや「科学的社会主義」に確信を持てない人々も、両方つなぎ止めておきたいがための方策でしょう。はっきり「これまでのこの路線は間違っていた」とか、「修正」といったことを前面に出すと、イタリア共産党のように分裂が待っている、と中央幹部は考えているのではないかと思います。
たしかに分裂といった事態におちいる危険性はあると思います。けれども、民主集中制を放棄して党内民主主義を確立しない限り、さらなる極小勢力となってしまうことは避けられないと思います。他の政党より非民主的に見えるようでは、とくに若い世代を獲得するのはとうてい無理でしょう。自己を民主化できない党が社会の民主化を行うなど不可能です。
分裂の危険もあるかも知れませんが、本サイトの多くの方々が指摘されているように、過去の自党が及ぼした負の遺産を問い直し、反省・謝罪をし、はっきりと清算することが不可欠だと思います。
そこを避けて、ずるずると時間をかけて「なし崩し改革」をしても、過去から現在までの路線をすべて「基本的に正しかった」「理論的に掘り下げた」「発展した」で言いくるめ、中央幹部は安泰か、病気・高齢による勇退で責任を問われないままでは、協力・共同するべき相手、潮流からは、いくらラブ・コールを送っても無視され続けるでしょう。
そこで、大きな方向性としては、中野徹三氏『古い教条とあたらしい現実との谷間で』(『労働運動研究復刊第6号』2003年12月)の以下の論に賛成です。
<これまでのわが国の人民の運動の歩み全体に対する心のひろい、真に人間的な再評価の姿勢が必要であろう、と私は考える。日本共産党は、わが国の非力で未熟でもあった社会民主主義勢力の現代的再生と自党の再生の関連を、どう考えているのか? もし他にふさわしい政治勢力が無いならば、自分が徹底して自己変革して、その中心となるべきでないのか?>
→まさにそうだと思います。
<先進諸社会では前世紀の70年代頃から、経済のポスト・フォーディズム化とIT化、グローバル化の進行とともにこれまでの共産党や社会民主主義政党の地盤だった階級・職業構造の急速な変動が進み、個人の価値観はまず若い世代から、「自己中心」のそれへと変容していった。>
<それは一面ではこれまでの政党や労働組合などの集団が諸個人の価値を統合する魅力を失ってゆく過程であるとともに、それ以上に個人が自己決定せねばならない領域が拡大し、しかもこの自己決定は自己実現=自由であるという意識が普遍化してゆく時代であった>
<――もちろん、この自己実現は、巨大な規模での自己疎外をもともないもしたのであるが、それと並行して、政治が直面し、回答をあたえなければならない問題も、途方もなく拡がり錯綜して、対策も保守と革新の単純な二分法ではとうてい処理できないものとなりつつある。>
→これは現状認識ですが、そこからさらに進んでどうするか、が問題です。考え中です。
<経済の分野では市場とその永続的な役割をしたがってまた資本主義的な企業と個人の自由をはっきり承認する。同時にそこから生まれる不平等や不公正を是正し、社会的公正と平等の確保、その不断の改善に努め、そのために必要な範囲での規制を国家に実施させる。>
<資本主義的企業は、その所有と運営の私的(個体的)性格はそのままで、したがって直接的には「自分たちのために」、私的利益を追求して生産物とサービスを社会に提供するが、社会はこれらの生産物やサービスが、よりよく社会のため、「万人のために」のものであることを企業に求め、国家は社会の要求を実現すべく各企業が自由に競争するよう、透導する。>
<「万人のために」よりすぐれた製品やサービスを提供した企業が、「自分のために」より多くの利潤を得、それはさらによい富を社会に提供することになる、等。これは矛盾と試行錯誤を含む終わりなき過程であるが、社会すなわち市民諸個人の総体が知的にも道徳的にも不断に高まることが、企業とその活動をますます社会化し、市民(企業市民)化する第一の前提となる。>
→マルクス的社会主義は不可能だ、という認識ですが、私も同感です。さらに民主主義革命の方も、実は私の考えは不可能論に近いです。一方の不破共産党は、「共産党が政権を取れば(政府に参加すれば)革命だ」とでも思っているような気がしますが(君主制を廃止しなくても革命だと強弁するし)。
2「安直」「近視眼」「短小」のこと
さて、それで、「安直」「近視眼」「短小」の問題ですが、
<護憲を結集軸にするうえで障害と解釈されやすい部分を、>(綱領、政策から)<安直に取り除いてしまったのではないかと感じます。政党としての一貫した独自の方針が示しづらくなります。>
→現憲法体制が「ブルジョア君主制の一種」である、という認識は正しいと思っていますが(だからこの文言をはずしたのは間違いだと思う)、将来展望として社会主義が実現できるかどうか懐疑的です。現在の資本主義の枠内で、国家あるいは社会あるいは各個人が、各企業に対していろいろな手段で監視、規制していくしかないのではないか、と思っています。
各企業に企業家精神が育たなかった旧社会主義国の実験結果を考えると、おいそれと生産手段の共有(国有に帰着しそうだが)には踏み切れないと思います。
<その結果、政策や運動がどうしても近視眼的かつ政治ゲームっぽくなります。典型的な例は、北朝鮮による工作船(不審船)の問題が生じた時、海上保安庁法の改正(危害射撃容認)に賛成(社民党は反対)。共産党は、海保の活動は警察行動と改正賛成を正当化。ちなみにそして、海上保安庁法その2ヶ月後に海保による不審船砲撃・銃撃戦が発生。日本人3人負傷、北朝鮮人15人死亡という惨事になりました。>
→海上保安庁法の改正(危害射撃容認)に賛成したのには驚きました。社民党は反対したのに。同時期に「自衛隊活用論」が出されたように思います。私は、憲法違反の自衛隊でも活用することはありうると思います。
ただし、「社会党の二番煎じ」であることを認めず、相変わらず「正しかった」「理論的掘り下げ・発展」などというごまかしは撤回し、「修正」であることを認めなければいけません。(自衛隊の武装を解除して「(国際)救助隊」(サンダーバード)に即刻するべきだと思います。武装のない救助隊なら大いに国際貢献できる)
<循環的結果として「軽薄」とまでは言いませんが「短小」な政策立論や運動形態となってきたように感じます。例えば、昨年の秋の総選挙では、マニフェスト選挙で政権掌握時の政策を論じあうものとなりました。民主党・自民党のものと比べると定量的目標やそのプロセスが明示されず、「××反対」中心のもの(なお、私は民主党のと、自民党のものの差異をきちんと見抜いて指摘した本サイトの方に脱帽)。>
<消費税については「消費税大増税反対」、地方議員たちは「消費税は福祉に使うという口実だったのに一般財源に入れたからよくない」と説いて回りました。つまり、小幅増税なら福祉目的ならよい、・・・つまり、民主党への擦り寄りでは?>
→「定量的目標やそのプロセスが明示され」ないという点は確かに弱点ですね。消費税も「定着」してしまった感じがあり、減税に変わる財源の提示が必要ですが、企業から増税するのも大丈夫かなという不安が、しろうと的には、あります。
<以上の、「危うい安近短」が、今日の結集軸を「護憲」とし、護憲勢力になってくれそうな政党に擦り寄る(労働者およびその家族にまなざしを向けるのではなく)共産党の行動につながっているように感じますが、如何でしょうか?>
→さざ波通信の「論説」でも指摘されているように、大衆運動の低迷により、国会活動へと活動の重心が移ってきたということですね。問題は大衆運動をいかに活発にするか、ということだと思います。これまでのように、党の「指導」が入る大衆運動組織(党の傘下の組織)に頼っていたのではだめだと思います。党による大衆運動の引き回しにすでに懲りていますし。
もっと自由な組織(自由な個人が自由に発言、行動できる組織でないと若い人は参加しないでしょう)と連帯していくようにするべきでしょう。(インターネットをもっと活用するとか)
<私は上記のような「安近短」には反対です。>
→同感できますが、「安近短」にならざるを得ないところもあると思います。中央が独断で事を決めすぎるのが問題だと思います。他の党のように、毎年党大会を開くべきだと思います。
<レーニン型の組織形態、マルクスの歪曲解釈より、思い切って彼らの文言から自由になってみては?>
→賛成です。
<日本人の生活の現状および国際社会での日本政府・日系企業・在外日本人の行動(緒方貞子氏のような国際公務員、NGOボランティア等活動家もヤミ商売屋も含め)をとらえ直すよい機会ではないかと思います。>
→NGOの活動は注目すべきですね。
<そして、護憲運動が「護れ」コールのみ、「憲法について話し合うというのは、改憲の入り口」と排除するのでなく、「こんなに役立つ」「生活にもっと活用できる」「戦争しないは、国際活動での安心印」などのプラスを打ち出すと理解が広がると私は思います。>
→「戦争しないは、国際活動での安心印」はいいキャッチコピーですね。私も使おうと思います。
→他人の受け売りがほとんどなので、よくわからず考え中が多いです。本サイトの高いレベルに脱帽です。 (2004/08/14)