ロム3さんの意見に全く同感です。
私がこれまで、ピントのずれたようなことを書いてきたのも、それを言いたいために、具体例として関係の無さそうな問題を取り上げてきたのですが、論じ方が下手なために雑談のような感じになったかもしれません。
イデオロギーというのは、それを信じる人間にとっては人生で最も大切な絶対的な真実かもしれないけど、信じない人間にとっては糞でしかないのですから、部外者にそれを振り回しても無意味というより有害でしかないことを、冷静に自覚しなければ、議論をする資格がありません。(おまけに、自分は信じないのにイデオロギーを真実であるかのように主張するたちの悪い人間もいます)。
我々から見て、ブッシュがどれほどいかれたアホであっても、彼を支持する連中にとっては、彼らのイデオロギーを地球規模で実現しようとする偉大な指導者なのかもしれません。そのイデオロギーがいくらごまかしに満ちたものであっても、それを批判するのに別のイデオロギーをぶっつけたのでは、水掛け論であり、目くそ鼻くそをわらうの不毛なけんかです。
個別政策の是非も、イデオロギーの正邪も、最終的には究極のリトマス試験紙、すなわち人間性に照らして判断しなければならないでしょう。数学的に厳密な論理で組み立てられた、絶対的に正しいイデオロギーも、それが「人類は必ず滅びる」と主張するものであれば、それは否定すべきです。太陽のエネルギーは有限であり、いつかは燃え尽きて太陽系は暗黒の世界になるとすれば、「人類は滅びる」は正しいでしょう。しかし「そないなこと、言われんかてわかっとるわい」です。そんな人間性を否定するような哲学を基礎に生きることは出来ません。
自分が信じているからみんな信じなければならん、などという幼稚な考え方で行動するのではなく、人間には様々な立場があり、様々な感じ方・考え方があるという現実を受け止め、人間性を基準に考え、判断し、行動すべきでしょう。
マニュアルの問題では、私ははじめから「マニュアル教育はいかん」と言ってきたのであり、マニュアルを作るのがいかんなどとは一言も言っていません。マニュアル教育とマニュアルそのものを区別し、またマニュアルの中にも必要なマニュアルと不要(有害)なマニュアルがあることを認識し、更に必要なマニュアルでも作成の仕方、利用の仕方によっては有害なことがあるということを、細かく論じる必要があるのですが、ここはそんな話をする場所ではないので、やめておきます。今は人間性との関連で一言。
普通の本は、表題と著者名で識別され、著者名が気に入らなければ読まなければいい。また興味を持って読んでも、内容に同意できなければ「誰々の主張は間違っている」と批判することが出来ます。
ところがマニュアルには、普通は著者名は表示されません。マニュアルは「誰々の意見」ではなく、神のように名前の無い人から下ってきた「絶対的な真理」であるかのように与えられるのです。私はこれまで無数のマニュアルを読んできましたが、そのほとんどが間違いだらけでした。ところがそれを読んでそれに従って作業をするように指示される人たちにとって、マニュアルは私が読んだときのように批判的検討の対象ではなく、無条件に従うべきものなののです。他人をその様に従わせることの非人間性を、私は主張してきたわけです。
ロム3さんが指摘した共産党の一般党員への「指導」も、同じように、絶対的な真理であるかのように上から降りてくるから、建前はどれほど「批判歓迎」「民主的討論」であっても、現実には自由に本を読んでその内容を批判するのとは全く異なり、決められた方向に沿っての意見表明に終わってしまい、民主主義の本来の趣旨(多数決ではなく)である「議論を通してより良いものへ」から遠く隔たってしまうでしょう。
マニュアルに本質的に欠けている物が「なぜ?」という疑問を持つ姿勢です。疑問を持ったらマニュアル通りの作業は出来ません。だから良いマニュアルの条件は、それを永遠の未完製品と考えて、新たな知見を取り入れて改訂すると同時に、それに従う人たちが読んで感じた疑問を解消する作業を通して改良することです。それによって、それを読んで作業する人たちがロボットではなく、自分の頭で考える独立した個人であるという人間性が保証されます。共産党の「議論」も、そのようなものであるべきだと思います。