「正義の味方、真実の友・赤旗」どうしても読んで確認したい記事があり、近くの地区共産党事務所に行った。
そしてふと上を見上げると事務所の上の方に「正義の味方、真実の友・赤旗」と書かれた看板をみた。
普段見逃している看板である、その余りにものアナログぶりにもう一度見直した、やっぱり同じである、「なんだこりゃ」我慢しきれなく、つい笑ってしまった。
この看板が今も党本部に掲げられているのかは知らない、また全国の地区党事務所にあるのかも判らない。
しかしそれはそれでいいと思う、その姿勢が貫かれていれば、たとえどんなアナログでもいい、いいものはいいのだからー、勿論この看板を見て赤旗を買う若者はいないだろうがー。
かつてナチス・ドイツは「ウソも百回つけば真実になる」として自身とプロハガンダの天才ゲッペルスを動員し、ドイツ国民を引き付け、炊きつけ、興奮の渦に巻き込み、そしてユダヤ人やロマの人々を殺戮し、国民も奈落の底に引きずりこんだ。
日本共産党とその機関紙・赤旗が、依然として栄えある「正義の味方」であり、「真実の友」であるならば何も文句はない。
しかし懸念するのは、最近の主な記事を見る限り、余りにも一般化したり、真の問題点を捉えていなかったり、争点・論点を逸らしていないかなのだ。
例えば8月12日の記事だ、美浜原発の4人死亡と言う過去最大の原発事故に関し、一面トップ記事は「運転中の建屋に多数の人入れるな」とある。
党の県委員会申し入れといえ、これでは今回の事故の根本的問題点が、どこかに飛んでしまっている。
この記事では「それなら少数ならいいのか」と言うことになってしまうだろう、今回の事故の問題点は何よりも、原発そのものの危険性、関西電力の根本的な原発に対する安全面などの手抜き、検査体制の問題、外部丸投げなど危険な原発を管理運営する上での欠陥など問題点は山積している。
それを「放射能被曝のない(筈の)二次施設でも、余り多く人を入れるな」などと書いたら関西電力を免罪するトンでもないものになる。
安易で、余りにも原発立地の自治体に対する遠慮・妥協が多すぎるのだ。
正義なら何回でもそう書けばいい、真実なら重複してもいい、書き続けたらいい、誰も文句は言わないし、遠慮することもない。
そうでないと何事も解決しない、政府や関西電力のプロパガンダに負けるしかないのだからー。
「正義」や「真実」は大切なものだ、しかしそれに枝葉をつけ、肉をつけないと、敵に勝てないのも事実である。