人間の思いやりは、情報の中から生まれてくると思う。
アメリカのイラク攻撃に対する怒りや、イラク国民に対する思いやりも情報の中から生まれてくる。
実は今、世界の中で一番日々生命の危険を感じて生きて居るのは、スーダンのダルフール地方の人々だという話を聞いた。政府軍と、抵抗軍の戦の中で、民族浄化も行われて、一村丸殺しということもあるらしい。
そんな中で、生き残った孤児たちは、抵抗軍に従い、男の子は少年兵となり、女の子は、性欲の捌け口にされているようだ。子供が子供を生むという実態もあるらしい。それでも孤児たちは軍について行かなければ糊口を塗ることができない。
情報のあてかたによって、浮かびあがるもの、沈むものがある。
世の中は、かなり情報によって操作されていると思う。
ひるがえって、わが日本共産党であるが、上から下への一方的な情報の流れしかないので、党内に思いやりというものが生まれてこないと思う。下から上への情報を重視しなければ同志への思いやりは生じない。
また、末端党員の話になるが、彼らは、全体の発展をどうするかを考えるよりも、個人の成績を考えて行動する人が多い気がする。
その結果、数上げ主義でその場しのぎの拡大、拡大をやるが、寄せては返す波のごとく、全体の数は、すぐ減ってしまう。質の向上を考えない数追い主義では、しばしば後悔が残るのみで、努力しても後に何も残らない。
民主的党ならば、下から上への情報を重視すべきだと思う。
貧すりゃ、鈍する。今の日本共産党では、下のことを考えている余裕はないかもしれないが。企業などでは、追い詰められると真剣になって根本問題の解決をはかり立ち直るところもある。
皆がいっせいに回れ右をして、上下の優先順位をかえれば、問題は すぐ解決すると思うのだが。そう簡単には、行かないものだろうか。