おっしゃるとおり、一般党員の責任は重大です。普通の国民は、そういう末端の党員に接して、「これが共産党か」と思って、現在離れてしまっているわけですから。
私も、党の文献を読んだだけで他は何も知らない実に不勉強な、しかし何でも分かっているような態度の、謙虚さの無い党員にあきれて、「これじゃダメだ」と思わされました。
しかし「指導」ということの重大性を考える必要があると思います。18年程前に私は、ビジネス街で、夜は飲み屋だけど昼食時には大混雑する人気の店にアメリカ人を連れてゆき、40分近く待たされて時間内に会社に戻れなかったことがあります。
その店は中卒の人たちを徹底的なマニュアル教育で使っており、客がすぐに注文すれば素早く料理が来るというシステムになっていました。ところがそのときは外国人にメニューを説明するために、着席と同時に来たウェートレスに「ちょっと待ってて」と言って、3分ほどたって手を挙げて呼んだのです。ところが相手はそれを見て「はい」と言ったのに、マニュアルのシナリオから外れているのでまともに対応せず、テーブルに来ないのです。他の子が近くを通ったので「ちょっと、注文」というと「はい」というのですが、やはり放ったらかし。
散々いらいらし、「おい、どうなってんだ?」とやって、飯が来たのが40分後というわけ。腹が立つよりも、自分で判断することが出来ないようにマニュアル教育されている彼らが哀れになりました。
それについて、生協の管理部門で働いていた知り合いの共産党員に「マニュアル教育はいかんね」と同意を求めました。働くものの自主性を尊重する共産党員であれば、私と同じ意見だろうと思ったのです。ところが彼は「それはマニュアルが悪いんだ」の一点張り。良いマニュアルであればそういう事態にも対応できるはずだ、と言うのですが、外国人が来たらどうするか、地震が起きたらどうするか、身体障害者が備え付けの椅子に座れなかったらどうするか、などなど、あらゆる状況を想定したマニュアルなんぞ、作れるはずないでしょう?
そんなすごい「完全な」マニュアルを作ったら、何百ページになるかわからないけど、店員が読めますか?そんなものは実現不可能ですが、それよりも私が問題にしたのは、中卒でロボットのように決められた手順だけで行動し、自分で考えないように教育された彼らが、この先どういう人生を送るのだろうか、という心配でした。
そういう私の問題意識を知ろうともせず、「良いマニュアルを作ればいい」の一点張りで話にならないこの共産党員に、私はどうしようもない謙虚さの無さと、他の人間に対する共感の欠落を感じたのです。
これはその党員1人の問題ではなく、今の社会全体に広がる問題だと思います。名古屋拘置所で囚人に対する虐待が大問題になりましたが、大分経ってから朝日新聞の記者の取材に対して、ある看守は「我々は上から自分で考えるな、言われたとおりにやれと言われてきた。そのとおり、上から言われたことを忠実にやってきたのに非難されるのは納得できない」というようなことを言っていました。
多くの人が、自分で考えずに言われたとおりにやれ、と命令されているのです。そして問題が発覚すると、それを命令した連中は「現場が勝手にやったことだ」と責任逃れをします。これはイラクのアブグレーブ刑務所でも、三菱自動車でも、みんな同じです。自分で考えずにあくどいことをやる末端の人間も愚かで非人間的だけど、それをやらせながら責任逃れをして自分は手を汚さない幹部は実に卑劣で汚い連中です。
旧日本軍で、「上官の命令」でしかたなく捕虜を殺し、敗戦後その罪を問われて戦犯として処刑された二等兵と、それを命令したのに知らぬ顔をして逃げた汚い上官の関係も同じです。
「指導」や「命令」という行為に伴う重大な責任を自覚できない人間に、そういう上の立場に立つ資格はないのです。そういう意味で、私は一般党員の資質が重大な問題だけど、第一の責任は指導部にある、と言っているわけです。