こちらこそ始めまして、曙光のきざしさん。
ご察しの通りでしょう。私はもうすぐ47歳になります。
最近でも、解放同盟と共同すべきという意見や大阪で解放同盟批判を行ったが選挙 に負けたという意見など、両極端の意見が党員と思しき方から投稿されています。そ もそも、解放同盟の政治的バックは社会党極左及び自民党であり、その暴力的対応を 不正常活動として、正常化連、後の全解連を共産党主導で結成した経緯があるはずで す。
その経緯は少しは承知していますが、私も解放同盟・社会党と共同すべきと考えま
す。
前提条件無しに共闘の話し合いをするべきだと思います。今は暴力的な組織に成り下
がった解放同盟も本来弱者の解放の為に作られた組織です。過ちを犯したから一律に
共闘の相手から排除したら、相手はなくなってしまいます。そもそも党自身が共闘の
資格を失ってしまいます(八鹿高校事件では党に誤りは無いと判断しますが、他のこ
とでは数々の重大な過ちを犯していますから)。大異を残しても共闘せねばならない
と考えます。
今の差し迫る危機と戦うには我々の力は本当に貧しいのです。分裂する余裕はありま
せん。
当時から疑問だったのですが、差別問題を扱うのに何故部落に限定し て思考するのか、対象を広げなければ理性的なスタンスなど獲得できないと思います
おっしゃる通りです。民族排外主義ならぬ、部落排外主義があるのでしょう。我々 も中央が陥っている「前衛党排外主義」から一刻も早く脱出せねばなりません。
だから、八鹿高校で部落民の所属しない落研に対し、第2組合みたい な格好でクラブを作ったなら、当時の教員・生徒会が反発したのは当然でしょう。そ ういう、空気だったのですから。その結果、暴力行使に及んだのは、教育機関への干 渉であり解放同盟の規定路線だったと思います。
確かにそうなのでしょうが、もう一度やりなおすことは出来ないものでしょうか? かつて水平社の時代は共闘組織だったはずです。繰り返しで申し訳無いですが、共闘 相手だけに正しさを求め、自分の誤りは認めないと言う態度では誰もついて来ません。 選挙で連敗続きなのもこう言った態度にも原因があると考えます。
しかし、この掲示板一部に思うことですが、マルクス主義者の筈なの に、
ちょっと待ってください。党員ならそうかもしれませんが、この板は一般投稿欄で
す。
ちなみに私は党員ですが、最近はマルクス主義どころか社会主義にも疑問を持って
いるので、マルクス主義者と名乗ることに抵抗があります。
何故、社会的マイノリティ=非差別者=労働者階級という短絡的発想 の投稿が多いのでしょう。部落、黒人、在日差別などに関して、彼ら全員が労働者階 級では無いということは、当然のことです。私自身の実感からは、今まで接触のあっ たマイノリティのうち30%が私より経済的に恵まれておらず、残り70%は私より 経済的に恵まれているというのが実感です。世間的にも、この程度の感覚では無いで すか。
同感。もちろん30対70は人によって変わるでしょうが。
又、解同や総連が暴力行使を躊躇わないことは実感として理解してい ます。
これは正直、わからない。実体験が無いので。でも何とか共闘の可能性を探って欲 しい。でないと、このままジリ貧だ。
だから差別温存といっている訳では無いですよ。差別無き社会を築く 為には、すべての情報公開が必要なのです。実際に、既得権益集団に堕落してしまっ ている組織の現状を明らかにして改善しなければ、真面目に生活している多くのマイ ノリティの人々に泥を塗ることになると警告しているのです。古くさい二元論では、 現実世界は納得してくれません。
確かにそうなのですが、状況次第では「既得権益集団」と組むことも有り、と判断 します。解放同盟どころか、西村のいる民主党とも。別の投稿で原 仙作さんが言わ れるように、状況によっては多様な相手と組む可能性が有り、またそうせざるを得な いと考えます。
以上