先ほど、粗雑なことを書いてしまったので、ちょっと訂正します。
指差し称呼(または確認)は、保守点検の手順ではなく、始業時または終業時、あるいは出発時の安全確認ですから、ボルトの緩みだのクラックだのをチェックするものではありません。ただ、精神は同じだと思います。
つまり、ざっと眺めて「ま、いいだろ」とやるのではなく、「どんな異常も見逃さないぞ」という精神で対象に全神経を集中するという点では、日常的な始業点検も定期的に装置を止めてやる大掛かりな保守点検も同じだろうと思います。
その精神をおろそかにするマニュアル主義の危険を言っているわけです。例えば、「お客様は神様と思って、心をこめておもてなしをする」などとマニュアルに書いているレストランチェーンが、店員達にその店独自の奇妙な気持ちの悪い言葉であいさつをさせて、しかも店員同士の連絡まででっかい声でやらせて、四六時中うるさい声を客に聞かせる。
あるいは100円ショップで、店員達がひっきりなしに客にケツを向けたままで「いらっしゃいませえー」と怒鳴っている。「一体、こいつら誰に向かって言ってるんだ?」と、馬鹿にされた気になるのですが、それがサービスだと思い込まされて、客は何を必要としているのかを自分で考えようとしない。
目の前にいる人が何を必要としているのかを知る努力をして、それに対して自分は何をすべきかを自分で考え、判断する。その努力をしてはじめて、「これでよかったのだろうか」と他の人と話し合い、より良い方法を探ることも出来ます。マニュアルの指示に従うだけで自分で考えない人は、「これでいいのか」と他の人と議論し、より良い方法を見つけることもできません。それが批判的精神と盲従的精神の違いです。