当サイトの「組織論運動論」(04.8.9)にて、津南雄様による「抜本的改革は急務」というご論説を読みました。私の思うところとほぼ共通します。
ただし、私は1990年以降の15年間の政治の変転を振り返りつつ、共産党の規約改定(2000)および綱領改定('04)の流れは、ある意味で進行中の「抜本改革」ではないかと感じます。そして、その意図とは全く逆(おそらく??)の政治潮流を励ましてしまい、結果として大きな選挙が99年以後5連敗となっているのでは、と思います。
私が共産党の変転から感じる「抜本改革」は、簡単に言えば、安直安易安手、近視眼的、短小、すなわちこの15年間出版業界に流行った「安近短」ではないでしょうか?
以下、箇条書きです。
(1)2000年規約改定で
党名変更の余地を残した
目標として民主主義を強調し、その後については「進歩的未来」にとどめた
社会主義革命どころか社会主義を目指すことも省かれた
理論基礎としてのみ科学的社会主義を挙げた
党員と労働者との結びつきを薄めた
一方、党員についての中央集権システムは強化され、党員や地区委員会での発意による党大会を開催可能性が廃された
そして、この大会で「侵略への自衛隊活用論」を含めた決議が決まりました。
(2)2004年綱領改定
津南雄氏のご指摘のように、
①「民主連合政府」=民主主義革命、
②「象徴天皇制」≠君主制 、です。
③綱領レベルでの、社会主義革命の放棄
そして、この大会では「日本国憲法擁護活用」が大きなトーンになっていました。
つまり、護憲を結集軸にするうえで障害と解釈されやすい部分を、安直に取り除いてしまったのではないかと感じます。政党としての一貫した独自の方針が示しづらくなります。2004年の綱領改定で、大会で反対した人は、「新綱領案の民主連合政府のところで、党がすべきことと、民主連合政府がすることが、混同されているから」という理由がマスコミで報道されました。
その結果、政策や運動がどうしても近視眼的かつ政治ゲームっぽくなります。典型的な例は、北朝鮮による工作船(不審船)の問題が生じた時、海上保安庁法の改正(危害射撃容認)に賛成(社民党は反対)。共産党は、海保の活動は警察行動と改正賛成を正当化。ちなみにそして、海上保安庁法その2ヶ月後に海保による不審船砲撃・銃撃戦が発生。日本人3人負傷、北朝鮮人15人死亡という惨事になりました。おおよそ、そのころ、共産党はしきりに民主党に共闘をよびかけ、民主党からはストーカー呼ばわりされていました。また、何故か1990年代後半となり、「革新」という語は使われず、「民主市政」等の用語を使うようになっています。
さらに、上記による循環的結果として「軽薄」とまでは言いませんが「短小」な政策立論や運動形態となってきたように感じます。例えば、昨年の秋の総選挙では、マニフェスト選挙で政権掌握時の政策を論じあうものとなりました。民主党・自民党のものと比べると定量的目標やそのプロセスが明示されず、「××反対」中心のもの(なお、私は民主党のと、自民党のものの差異をきちんと見抜いて指摘した本サイトの方に脱帽)。消費税については「消費税大増税反対」、地方議員たちは「消費税は福祉に使うという口実だったのに一般財源に入れたからよくない」と説いて回りました。つまり、小幅増税なら福祉目的ならよい、・・・つまり、民主党への擦り寄りでは?このころ、「消費税を無くす会」機能停止状態だったと感じました。(当時の同会のHPを見た印象)
以上の、「危うい安近短」が、今日の結集軸を「護憲」とし、護憲勢力になってくれそうな政党に擦り寄る(労働者およびその家族にまなざしを向けるのではなく)共産党の行動につながっているように感じますが、如何でしょうか?
津南雄様へ、「抜本的改革」の方向性と理論的基礎は何ですか?
私は上記のような「安近短」には反対です。レーニン型の組織形態、マルクスの歪曲解釈より、思い切って彼らの文言から自由になってみては?日本人の生活の現状および国際社会での日本政府・日系企業・在外日本人の行動(緒方貞子氏のような国際公務員、NGOボランティア等活動家もヤミ商売屋も含め)をとらえ直すよい機会ではないかと思います。そして、護憲運動が「護れ」コールのみ、「憲法について話し合うというのは、改憲の入り口」と排除するのでなく、「こんなに役立つ」「生活にもっと活用できる」「戦争しないは、国際活動での安心印」などのプラスを打ち出すと理解が広がると私は思います。