横合いから割り込んで、失礼します。
尾張さんの提案に賛成です。ただし、困難な条件があります。それは、謙虚で建設 的な議論が実現しなければ、すべては夢に終わってしまうということです。尾張さん ととんびさんの議論のように、互いに尊敬して相手の言うことに謙虚に耳を傾ける。 そういう関係をそこらじゅうに作らなければ、自分の思い込みを言い合うだけになっ てしまいます。
私は日本でまともな議論が成り立たないことを、昔から疑問に感じ、腹を立て、そ して時には絶望的な気持ちになりました。相手が何を言おうとしているのかを理解し なければ、批判は出来ません。ところが多くの人は批判ということの意味を理解せず、 相手の揚げ足を取ってへこますことを批判と心得ているのではないかと思います。そ んなものは野良犬のケンカです。
そして更に問題なのは、党の幹部にも批判や議論の意味を理解していない人が多い ということです。そのままでは、日本の将来を心配する多くの国民と話し合い、協力 することは極めて困難でしょう。9条の会に参加した梅原猛氏は、私とはかなり考え 方が違います。しかし彼が日本社会のことを真剣に心配し、環境破壊についても真剣 に考えている、それに対して尊敬の念を持つことが必要だと思います。現在はその方 向に近づいているから、このような運動が実現したのかもしれません。しかし遅きに 失した感があります。
遅くても、やらなければならない。それはそうですが、同時にこれまでの反省が必 要です。それがないと、過去に深く傷つき、不信感を持ってしまった人たちを呼び戻 すことは出来ません。
日本の民主運動に巨大な影響(ある人たちから見ると巨大なマイナス)を与えてき た共産党が、真っ先に、そして最も深く反省する必要があると思いますが、一般市民 にも同じような自省が求められていると思います。
それは例えば、イラク戦争反対のデモに関する辺見庸氏の厳しい苦言に見られます。 若い世代の運動家達にはかれらの言い分があるでしょう。しかし戦前と戦後の歴史を 深く調べ、考えてきた辺見氏の警告、危機感、そういったものから学ぶ謙虚さがなけ れば、自己満足に終わるでしょう。
自分が「何も知らない」ということを謙虚に認めて人から学ぼうとしなければ、い くら一時的にはにぎやかに反戦を叫んでも、戦前と同じくズルズルと体制に引きずら れることになるでしょう。国家というのはそれほど恐ろしく、そして醜悪なものなの だ、それを辺見氏は歴史研究だけでなく、ベトナムや中国での取材を通して、肌で感 じてきたのです。私達はそれから学び、心構えをしなければ、予想もしない展開に足 をすくわれるでしょう(既にすくわれつづけたからこそ、憲法ずたずたの現状がある わけです)。
その意味で、日本全国各地域で幅広い共同を作り出すためには、互いに対する敬意 を基礎とする謙虚で建設的な議論が可能になるような関係作りが不可欠だと思います。
その点では、古い体質の運動家がイニシャチブを取ることは絶対に避けなければな らないと思います。そういう人たちから、個人への尊敬の念を感じたことは一度もあ りません。その典型が私の学生時代の同級生で「論破してやる」が口癖の男です。相 手が何を言おうと関係ない。とにかく相手よりでかい声で相手より長くしゃべり続け て、相手を黙らせること、それが目的。これは悲惨です。
日本の将来を明るいものにする。その目的のために協力する仲間として、相手を尊 敬して話し合う。その基本姿勢が必要だと思うのですが、これは言うは易くして行う は難し。私には自信がありません。しかしその点では、若い世代に我々とは異質な能 力を持った人たちが生まれています。それはNGOで活動してきて、考え方もバックグ ランドも全く違う人たちの議論を組織し、まとめる経験を積んできた人たちです。
彼らには辺見氏のような古い世代の経験と智恵と知識を学んでほしいけど、私 達は彼らの柔軟な姿勢やまとめるテクニックを活用し、学ぶ必要があると思います。 彼らはファシリテーターなどというなじめない言葉を使うかもしれませんが、我々に 無いものを吸収するためには、なじみ難いものを受け入れることも必要です。
散々失望を繰り返してきた私には、その様な協力にかろうじて希望を見出せる か、というところです。