イラク戦争開始後、イラク戦争反対を掲げ、渋谷の街をデモした若者達の「サウンド・デモ」が見られなくなって半年になる。
私は一度だけ彼らの「雄姿」に遭遇したことはある、その姿は葬式デモや定型デモ慣れしたした者にとっては、大きなショックだった。
しかし国家権力は彼らを選別的に、徹底的に弾圧し、逮捕し実力規制した、それによって一時は1000人を越えたサウンドデモは、追い詰められ、潰されたのである。
今年6月、その一部メンバーがイラク反戦ではなく、輸入盤CD規制反対のサウンドデモを行ったという。
立川の自衛隊官舎へのビラいれ弾圧、赤旗日曜版の配賦による逮捕、ワールド・ピース・ナウのデモに対する逮捕、そして反戦落書き事件での逮捕と有罪判決、これら微罪にもならない活動に対する権力の弾圧は、今後ますます強化されていくだろう。
有事法体制に対する様々な反対行動、教育基本法改悪と「つくる会」教科書採択問題、改憲反対の闘い、イラク自衛隊派兵反対の闘い、更には国連常任理事国入り問題など、大きな闘いと課題が私たちの前には山積している。
しかしこれらには、やはり若者達の力が、若々しい自己表現の力がほしい。
煮えたぎりほとばしり出る、若いエネルギーが必要なのだ。
「サウンド・デモ」が復活するのか、或いはまた新しいグループが出てくるのか、それは楽しみにしておきたいが、彼らの闘いを、いや、若者達の閉塞感を打ち破り、それと合流する新たな流れが作られなければならないと思う。
戦後革命期の闘い、60年安保、70年の闘い、これらの闘いの最先頭には必ず若者達がいた、学生達が、青年労働者がいた、「サウンド・デモ」に参加している様な若者達がいたと言うことである。
世の中を変える力を持つのは若者なのだ、彼らは世の中の事に無関心なのではない、あらゆる事に興味を持ち参加したいと考えている、それを如何に引き出し育てるか、これらは全て私たちにかかっている。
今回のプロ野球合併・ストライキ問題で、野球しか興味がないと思っていた若い選手たちが、自分の意見をチャンともち、ファンに積極的にアッピールし、問題解決に当たった、山千海千のオーナーや経営者以上のことをやってのけた、この事実が今の若者達の秘めたすばらしさを証明している。
彼らとじっくり対話し、関心のある事柄を掴みだし、それに応えて行きたいと考えている、そこから全てが始まるのではないだろうか?