投稿するのははじめてですが、本通信はいつも興味を持って読ませて頂いています。
かつて“革新都政”が存在した地において、侵略戦争を肯定し、ヒットラーの如き民族・人種・障害者差別発言を繰り返す知事が圧倒的な人気を博しています。
国旗国家の強制、大量処分、侵略賛美教科書の採択など、余りにも露骨な反動攻勢に対し、「革新陣営」は、反撃も出来ずやられっぱなしです。
昨年の11月の総選挙で社・共は凋落し、保守化した民主党が自民党の別働隊として登場してきました。共に「戦争のできる国」を目指して憲法改正を視野においています。
このような果てしない保守化の流れの影響は、労働組合の弱体化による大量のリストラや中高年の自殺、年金の切り下げや世の中のすべての組織や人間を「勝ち組と負け組み」に分類するような風潮、「自己責任」という強者の論理の貫徹、ホームレスの人たちへの襲撃、元ハンセン病患者への宿泊拒否などあらゆる場面に噴出しています。
共産党や社民党の主張が現実離れしたり、時代遅れになったりしているわけではなく、昔の言葉で言えば「革命への機は熟している」のに、何ら有効な闘争が出来ていないと言うことです。もちろん、情勢分析、闘争方針などあらゆる検討がなされていることは分かるのですが、現実には生きていないと言うことでしょう。
背景の1つである「ソ連・東欧社会主義圏の崩壊」は大きいと思います。
ロシアマルクス主義(マルクスレーニン主義、ボルシェビズム)は、革命遂行のため鉄の規律を持った多くの職業革命家集団を形成しました。結局、民主集中制という組織原則は、1人の人間への権力の集中、スターリニズムへと変質し、革命の理想を裏切り、社会主義や共産主義のイメージを過去の歴史へと葬り去りました。
党内民主主義の為に死を賭したトロツキーのような人もいたのですが、ボルシェビズムの中での改革は困難でした。結局、このボルシェビズムの組織原則は、権力の問題を相対化できないので、恐怖政治への歯止めがきかないのです。
日本共産党は綱領の改正、政治方針のソフト化などで随分イメージは変わりましたが、このボルシェビズムの組織原則は放棄していません。
キューバは好きな国で、カストロも好きですが、終身議長というのはおかしいと思います。
宮本さんは病気でリタイア‐し、不破さんも一歩引いたようですが、病気になったり、本人が辞めると言わない限り、1人の人がトップでありつづけられるのは独裁といわれても仕方がないと思います。共産党は人材不足の政党ではないので、選挙で敗北したら責任をとって、別の人を選ぶのがあるべき姿だと思います。
それと、共産党や社民党は選挙に余りにもエネルギーを使いすぎだと思います。
私は一貫して社民党を支持している人間ですが、選挙では共産党にも投票しています。しかし、自分の過去を振り返ると、自分が革新的な思想を見につけたのは集会やデモなどでの連帯感と感動からでした。革新の原点はそこにあり、それを通して連帯の輪を広げていくことにもう少しエネルギーを使ったほうがいいと思います。