寄らば大樹の陰さん、ご活躍ご苦労様です。あちらの板でもこちらの板でも、
あなたの言説は、安心して開くことができます。
実は私は、スポーツというものはとんと、縁がありませんでした。むしろ、戦時下
には大いに利用されるものとして、忌み嫌ってさえいました。こどもの体育の時間に、
まっさきにでてきた軍隊用語に、異をとなえました。その後は、つかわなくなりまし
たが。
さて、そうはいっても、野球も、選手たちにとっては、職業。生業です。生業とす
るからには、信念も誇りもあるでしょう。一般の労働者と同じ、濃縮された自分をか
けるだけに、強いこだわりがあって当然です。同時に、多くのファンを自負している
責任もあるでしょう。
そうした意味で「たかが野球」でなく、「されど野球」す。
今日もテレビで報じていましたが、いつもと同じ、通り一遍にとりあげながら、
「野球のことで新聞一面に載るくらいですから、日本も平和ですね」とコメント。
このおめでたい言説はまったく、平和な日本を象徴して余りあります。どうして、
こうなのでしょうね。
私は、この戦時下、市町村合併も、銀行統廃合も、君が代日の丸も、すべて、すべ
て、戦争国策かのものとしてみています。戦争を完遂するためには、個々の自立や無
用。個々企業や冶自体の意思など、あってはやりにくくて困るではありませんか。
冶自体など、ましてや、自民党をおいぬいて、トップにある共産党議員は目の上の
たんこぶ。合併は共産党つぶしでもあります。
一方、先の国鉄解体、今の郵政民営化も、これらの裏返し。こちらは、利潤追求も
さることながら、自分の気にいる部署への利潤吸い上げであり、経団連がらみの戦争
推進企業が駒となって、戦争能力をバージョンアップするための布石でしかありませ
ん。
メディアもメディア、翻弄される個々の民衆も民衆、それぞれ、人騒動ありながら、
次第次第に、戦争路線はしっかりと、しかれていきます。
今辺野古ではすさまじい戦いが行われています。野球は野球、憲法は憲法、ファルー
ジャはファルージャ、チェチェンはチェンである限り、日本人は、またしても、同じ
道を突っ走ります。