投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

不発デモ

2004/10/02 銀河 60代以上 自由業

 フランスデモをやって叱られたとか。
 私が60年安保の時は学生でしたが大阪は御堂筋、大阪駅から難波まで連日のようにデモがありました。当時はジグザグでもで私はびっこなのでジグザグに入ると感じたらデモから抜け出し歩道を歩きます。「民族の自由を守れ、決起せよ祖国の労働者、栄えある革命の伝統守れ」民族独立行動隊の歌が御堂筋をこだまする。その歌詞の内容は兎も角何万ものデモ隊がこの歌声を歌いながらスクラムを組んで歩く情景は体が震えるほど感動を与えるのだった。
 「行くぞー」とどこからともなしに声が出ると「ワッショイ、ワッショイ」の声がはるかデモの前列から聞こえ津波のように広がる。長蛇のデモが機動隊にぶつかってははなれまたぶつかっていく。これは怒涛である。ぶつかるたびに機動隊員を蹴飛ばしていく。機動隊が襲い掛かり何人かが連れて行かれる。ゴーといううなりのような怒声と機動隊の命令の声があたりを喧騒で包む。翌日は警察署を包囲して抗議をし奪還をしてまたデモをする。この醍醐味がたまらなくて友が友を呼び、また友を呼ぶ。弾圧もある。ぱくられるやつもである。怪我をする奴も出る。それがどうした、という意気込みがみんなの中にあった。その中にロマンがあった。
    ところが安保闘争の終盤になると共産党がジグザグデモは弾圧を誘うからフランスデモにしようといい始めた。私たちは弾圧を引き出す気でもあった。大悪魔、小悪魔全部出て来い、それは気概だった。
 「お手手、つないで、」私たちは散々冷やかした。弾圧があればいいのだ。あればまた戦いが大きくなる、私たちは中央の方針に不満やるかたなしだった。
 そのフランスデモすら過激だというなら今のデモは葬式デモだ。フーセンを持って子供の手を引っ張って「闘ってます」なんて、ホップの抜けたビールを飲んでごろねしているほうがましである。
 このようなデモを「フハツデモ」と私は笑う。われわれの日常の積もり積もった怒りのエネルギーをこの時爆発させるのが示威行為なのだ。闘うとは相手も、こっちも血を流すものである。血を求める気がなければデモなんかする必要はない。