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イデオロギーという身勝手

2004/10/31 自称ゆでがえる 30代

 イラクで悲惨な方法で殺された青年がいる。
 この青年は自分探しの旅にイラクに出向いたそうだ。

 このニュースを聞いたときに、胸が痛んだ。ただ純粋ににである。
 これが一派庶民と言われる人間の正直な思いである。

 自己責任ではないが、「なんでそんな危険地帯に行ったのか?」「そんな事をしな ければ死なずにすんだ」といった意見を、ちらほら聞く。
 これは、口には出さないが「可愛そうだ」という言葉の裏返しであり、イデオロギー という毒に染まってしまい、システム的なものだけに執着し、人の生の心を理解でき なくなってしまった人間にしてみれば、ただ自己責任に落ち着かせているなどといっ た心的な洞察のかけらもない見解をするだろう。
 しかし、これが一般庶民として最大限の気遣いであろうと思う。

 私が懸念しているのは、こういった政治というものに身をやつしている人間が、こ れをダシにして、色々な声を発している事である。
 特に、自衛隊派遣反対論を唱える人間である。

 自衛隊を派遣した事に問題を唱える事自体は、何も問題はないだろう。
 それは一つの意見であり、政党が唱えるのなら、組織としての方針でそういう意見 を示したといえる。

 しかし、問題なのは、一青年の死というものを自らの理想のために利用している事 である。
 そして、ここぞとばかりに、こんなに悲惨な事件が起きた!と政府批判を繰り広げ る。こういう人たちにとっては、言葉は悪いが「青年よ、よく殺された、これで我々 は批判が出来る」などと思っているのだろう。
 もしそうでないというのなら、亡くなった人の立場を第一に考えろといいたい。 心が痛むのなら、ただ亡くなった人の冥福を祈ればいいではないか?

 政府の無能ぶりを責める前に、自分たちの思っている事を国民に伝えきられたのか?
 たとえ自衛隊派遣が引き金になっていようが、これは選挙において国民に選ばれた 人たちがした事だという事を忘れてはいけない。

 この前の人質事件でもそうだったが、誰も拉致(今回は殺害)した側の悪さを言わ ない、もしくは前面には出さない。
 これは「敵の敵は見方」という理論が働いているからである。
 要するに「アメリカに敵対するものは見方」だから、叩かないのである。
 叩くのはあくまでアメリカでなければならないのである。

 普通に考えれば、理由はどうあれ、殺害する方も暴挙といわざるを得ないだろう。 発生した原因だけを叩くことはしないし、殺害した犯人側の悪も論評の対象になるは ずである。

 正しく、勇気のある人ならば、利害関係などを省みず、イラクの武装組織、アメリ カのやり方、その二つに反対するだろう。
 例えていえば、医者がいたとする。
 そして、その医者は一方(見方)の患者だけを治療する。
 敵対している方の患者は診ないのである。
 そうすれば、一方は治って命拾いをし(増え)、一方は死んでいくかして減る。
 そうなれば、自分たちは増え、相手側が減るのだから、自分たちが有利になる。
 医者ならば、患者に「肌の色も思想も関係ない」という精神を持っていなければい けないだろう。
 ただ純粋に「助けたい」と思うはずである。
 イデオロギーや思想というのは、時として人にとっての大事な発想を麻痺させてし まうものでしかない、人間的に狭い概念であるともいえる。

 本当に平和というものを祈るならば、闘って勝つのではなく、融和的にものを進め ていくだろうし、見解にしても、自分たちだけが有利になるような材料だけを選ばな いはずである。
 自分の非も素直に認めるだろう。

 話を戻すが、実際に前の人質事件を取り上げるスピーチを聞いたが(未解決時)、 まずはじめに「何々さん、とても辛い事と思います」などと取り上げる。
 そして、この後は延々と自分たちの組織の主張、自衛隊撤退論だった。
 所々に「こういった可哀想な人たちが」などとはさむ。
 締めには、お決まりの「私たちが伸びる事によって、この国、ひいては、こういう 人たちが生まれないような~」となる。
 見事な展開であるとしかいようが無い。
 今回も、そういったものが氾濫するだろうと思うが、そういったものを想像するだ けで、今回亡くなったこの青年のことが不憫でたまらない。

 イデオロギーというものは、人の「生の心」を理解できない。
 行ってみれば、お役所的なものなのである。
 それは、政治家が国民のためでなく、自らの懐を肥やすがためだけに動くのと質的 に同等である。

 まず、青年の冥福を心から祈れといいたい。
 線香の一本でもあげに行ってあげたらいかがか?
 そして、そのことを利用して政府のやり方に異論を唱えるのなら、自分は少しでも 人の道から外れているという事を認識していただきたい。
 そうでなくては、遺族の方も、なにより本人も浮かばれまい。