89年のソ連・東欧社会主義国の崩壊以来マルクス・レーニン主義という革命思想そのものに対する動揺と否定が各国共産主義者の中に蔓延しているのであるが、ソ連の崩壊直後の90年にはイラクに対する米帝を先頭とする帝国主義諸国の侵略戦争があり、ユーゴ侵略戦争、アフガン戦争、そして今度のイラク戦争と世界戦争の危機が急速に迫ってきます。又朝鮮戦争の危機が近づいてていることの反映としてこのさざ波通信に赤裸々に投稿されてています。
このような情勢の中でかっての共産党からではなく新たな勢力として共産主義の復権が世界で追及されてきたように思われます。日本共産党の場合は共産主義から逃亡する方向にあり、初めにレーニンを否定し、次にマルクスを敬遠し、エンゲルスを持ち上げようとしているのが現状です。だがこの三人を切断することが誤っていると思います。
エンゲルスはマルクスの遺産相続人としてマルクス亡き後の「資本論」その他の著作を管理し、「共産党宣言」も1888年に英訳で出版しています。又レーニンは自分をマルクスの「教条主義者」とまで呼び、日和見主義、修正主義と理論的にも実践的にも対決していました。私はレーニンがマルクスの後継者であると考えます。頑固さんはレーニンの本のどの部分においてマルクスの裏切りの標本と称されるのでしょうか。マルクスの時代と違ってパリコンミューンの後に始めてレーニンは社会主義革命を指導したのであるから現実には理論どおりに行かず、さまざまな問題に遭遇するので誤りなしに切り開いては行けない偉大なる道を彼はマルクスを規範に勇敢に切り開いていったのです。道は初めからあるのではない。「人が歩くから道になる」魯迅はこのように言いますが、レーニンは開拓者なのです。私たちはレーニンが歩いた道を踏み固め、スターリンによって奈落の底に落とされた道を引き返して元のレーニンの道を前進しなければなりません。
私はマルクス、エンゲルス、レーニンと口幅ったく在党時代にいってきましたが今から考えると赤面の至りです。この年になって二度の入院生活のおかげで「資本論」の第一巻だけ読んだ程度です。おそらく全部読むのには百歳まで生きなければならない勘定です。比較的読みよいといってもマルクスの本って喉にものが引っかかるように難しいのですが、「賃労働と資本」、「ゴータ綱領批判」、「フランスの内乱」、「経済学批判」、雁古さんが取り上げられている「共産党宣言」を読みました。その他はあまり読んでいません。
エンゲルスは「家族私有財産の起源」,「反デューリング論」の2冊だけかもしれません。
レーニン全集を持っているので、主として1905年前後1917年前後はかなりのものは読んでいますが、全部は読みきれないし、哲学ノートなど手も足も出ません。だが不思議なもので離党後の10年は空白の時代で、ニヒリズムや実存関係の本を読んだ後、五十歳からこれらのマルクスとレーニンの本を読まねばならなくなったのは、共産党にいた時代に信じていた共産主義はおかしいのではないかと考え始めたからです。そして何時までもアナーキーな思想に被れるほどには労働者や、人民から遊離できないと思うようになったのです。
さて雁古さんの短文を読んでそれぞれが膨大な内容を含むのでとても一度に感想をかけませんですが、4の大内・向坂訳の岩波の「宣言」と仲山良介という人の宣言の訳、を並べて読んでいます。ぼくは最近「宣言」の学集会に参加させてもらっているのですが大内、・向坂訳はかったるい気がします。英語の原文なんか大阪弁すらまともに喋れないのでとんでもないことです。、このインタネットの中に共産党宣言を検索すれば出てきますが、訳者の思想的立場によってずいぶん違うし明らかに自分流にひんまげて訳している物もあります。それであなたのように英語が読めないので悟るなんて出来ないのですが一つだけ反論させていただきます。
「① コムニストは絶対に自分の「党」を作らない。党を作れば党利を優先して大衆を拘束し、大衆の利益を裏切るのがオチである。
② 革命は大多数の国民の利益のために、大多数の国民が独立しておこなうものである。」
これがあなたの文章です。
「共産党宣言」岩波文庫、大内兵衛、向坂逸郎訳 1988年発行 p86 L7 の引用をします。
「ドイツでは、共産党は、ブルジョア階級が革命的に振舞う限り、いつでもブルジョア階級と共同して、絶対王政、封建的土地所有、および小市民はと闘う。
ドイツ共産党は一瞬も、ブルジョア階級とプロレタリア階級との敵対的対立について労働者に出来るだけはっきりした意識を生じさせることを怠らない。以下4行略」
このようにマルクスはドイツ共産党がその時代になすべきことを示しています。又共産党が必要なことを書いたページは枚挙に暇がありません。共産党あるいは労働者階級の党がなければ革命は絶対に出来ないのです。自然発生的な革命は暴動を出ることが出来ないし瞬く間に鎮圧されることが近年の歴史で明らかです。
さて共産党とは何か。それは労働者階級の利益を追求する党であり、決して国民の党ではないのです。国民というのは長階級的な概念であり民族主義の表現です。自民党はブルジョア階級の利益を追求する党であり、それぞれの党はそれぞれの階級的利益、団体の政治的利益を代表しています。今問題なのは日本に労働者階級の前衛が確固として存在しないことであり、そのために日本帝国主義ブルジョアジーのフリーハンドで政治が動かされていることです。早急に真の共産党、労働者党を建設しなければ、侵略戦争に日本中が突っ込んでいくことは疑いがありません。このさざ波に右翼が跋扈できるのも共産主義者の確固とした信念がここに少なすぎるからです。
マルクス・レーニン主義の復権を今こそ求められます。