アダムスミスは、資本主義を創始したわけでも、その運動を解明したわけでもありません。旧体制を倒して勃興しつつあった新しい経済システムを擁護して、理論的な基礎(正統性)を与えたのだと思います。
目の前に展開しつつあった資本主義という現実を、自分の哲学に沿って理解して、それが旧体制と違って理にかなっており、しかも人間の自由や福利を増進する可能性を持っていると考えて、それを擁護する理論を築いたのでしょう。決して資本主義に対して専売特許を持っていたわけでも、それを推進したわけでもありません。推進したのは学者ではなく、様々な分野で商品を生産あるいは取引していた人たちです。
従って、スミスの名前で資本主義を表現することがないのは当然です。それは誰が発見したわけでもない現実なのですから。しかしマルクス主義は違います。これは現実ではなく、物の見方、態度、立場です。
今は資本主義を当然のことと受け止めるのが普通ですが、そうではなく、資本主義はフツーの人間にとって良くないのだ、という立場を明確にしないと議論がしにくい、というよりも互いの主張の前提条件がわからずに議論が始まらない、という場合に、とりあえず「私は無政府主義者です」「私はマルクス主義者です」などと名乗らないことには、相手がなんでそんなことを言うのか見当がつかず、混乱するなどということにもなります。
例によって、悪いクセで誤解されそうな良くない例を挙げてしまいましたが、名前を付けることは必要です。心理学者でも、ユング流の見方をするのか、それともフロイドの精神分析によるのかを言ってもらわなければ、付き合い方が分かりません。
資本主義をその擁護者達の理論に沿って理解し、従うのか、それともマルクスによる批判の基本点を(詳細や彼の死後に現れた現実などは別として)正しいと考えて、その線に沿って世界を理解するのか、それを明確にすることは必要です。それを、マルクスご当人の考えとは全く関係なく、勝手にマルクス主義と称することに、何の不都合もありません。日本の右翼が「天皇主義者」と名乗る場合(そんな人間がいるかどうか知らないけど)、別に天皇の許可を得るわけではないでしょう。
また、マルクスは共産主義者であったかもしれませんが、マルクス主義者は共産主義者である必要はありません。マルクスの資本主義分析・批判は全く正しいと思うけど、資本主義の崩壊とその後のシナリオには同意できない、現代政治社会・経済をマルクスの見方で見て行動するが、その後の社会形態については全くの白紙、という人がマルクス主義者を名乗ることは許されるはずです。