「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて!」私はこの言葉が好きだ。
「共産党宣言」最終章の結語部分
支配階級よ、共産主義革命のまえに震え上がるがよい!
プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。
プロレタリアが獲得すべきは全世界である。
万国のプロレタリア、団結せよ!
この四行のすばらしさには、ただただ震えおののいてしまうしかないが、「各人は
その能力に応じて、各人はその必要性に応じて!」と来られてしまうともうこのたっ
た21文字の言葉の持つ、深さ、奥行き、重さに様々に想いめぐらされてしまう。
このまさに共産主義の核心・綱領と言っていいこの言葉は、何もマルクスやエンゲ
ルスが発明・発見したものでも専売特許でもない。
むかし今から200年も前にサン・シモンたちが掲げた「各人にはその能力に応じ
て、各能力にはその仕事に応じて」に対し、ルイ・ブランがその根底的批判として書
いた言葉だ、マルクスはそれをただ引用しただけに過ぎない。
しかしこの「各人にはその能力に応じて、各能力にはその仕事に応じて」を今どこ
かでよく聞いてはいないか?
そう今、大企業から始まり、今や官公庁各自治体にまで広まっている人件費抑制政
策の基本としての「成果主義・能力主義」そのもの、リストラ・首切り・賃下げ、不
安定雇用の目玉、今やフリーターの諸君までがんじがらめにし、意識づけている「成
果主義・能力主義」管理の元祖・大本の思想なのである。
今や労働組合もこぞってこの制度を支持し、のめり込んでしまってはいないか?こ
の最新の人事制度が、200年も前の「古びた衣」を着ているといったら笑ってしま
うが、ブルジョワ社会なんて所詮そんなものなのだ。
あの経団連の「改憲ジジイ・奥田」のカビの生えた推奨品になんで何の疑問も持た
ず囚われて平気なんだ、情けなくはないか。
そしてこの道は、かつてナチス・ドイツが掲げた「生産に必要でない者は社会から
抹殺せよ」と同じである事を気づくべきだ。
「障害」者、高齢者、そして女性、今私たちは高齢化社会の真っ只中にいる、仮に
アメリカと共に「戦争する国」に純化すれば、かつてのあの時代も再来してしまう。
やはり私たちははっきり掲げよう「成果主義・能力主義は要らない、拒否する」と。
今こそ私たちは「よみがえるルイ・ブラン」として「各人はその能力に応じて、各人
はその必要に応じて」を実現していかなくてはならないのだ。
そして「共産党宣言」嫌いの人たちにも言いたい、党名を日本共産党というなら
「もつとマルクスやエンゲルスを素直に真っ直ぐに読め」と、そこから世の中は変わ
る。