> もしも日本共産党がこの国家を打倒し社会主義革命をやる党であるならば当然、国家は弾圧をするであろうし、その弾圧をはねかえしていくためには党は軍隊組織のようでなければ生き残れません。・・・・(中略)・・・・民主集中制を否定するだけであれば革命の放棄ということになりませんでしょうか。
民主集中制を否定する者として、レスします。
銀河さんの疑問へのごくありきたりの返答は、もうすでに聞き飽きておいででしょう。そして、その「ごくありきたりの返答」に対する反論も、既にお持ちのことでしょう。例えば、チリのアジェンデ政権がアメリカCIAの後押しによるピノチェトの軍事クーデターによって倒された史実に学ぶべき、云々ということになるでしょうか。私なりに、その後の議論への導入として、次のようなことを考えてしまいます。
銀河さんは9/29 付の投稿で、「原水禁運動分裂に私も加担した」と題して、かってのご自身の党生活への深い悔恨の想いを書いて下さいましたが、その際に「一党員だったから仕方がなかった」と書かれました。それは、民主集中制だったから仕方がなかったという意味でしょうか、それとも、自分自身が未熟で、その犯罪性に気付くことが出来なかったので仕方がなかったという意味でしょうか。そのどちらかだとして、いったいどれくらいの割合の党員が、「一党員だったから仕方がなかった」と考えているとお思いでしょうか。
古傷をえぐるような話題を蒸し返して私も大変心苦しいものがありますが、民主集中制についての銀河さんの論点を広げて核心に迫る対話を進める上では、どうしても必要だと思いました。お許し下さい。
前に私が、カート・ヴォネガットの「芸術家の炭坑のカナリヤ理論」に触れたのは、芸術家の、人類世界を豊かなものする偉大な使命・役割といったものに思いをはせたからです。画家でいらっしゃる銀河さんに、民主集中制は最も似つかわしくないものです。自分にはそんなものはいらないが、共産党員はそれを採用すべきだと仰るわけではないでしょう。銀河さんらしくないです。
上記ような筋立てでの議論に興味はないとお考えの際は、返事をされなくても全く不満はありません。私もあちこちに首を突っ込みすぎて、雪だるま式に宿題がふえました。先頃も寄らば大樹の陰さんからおしかりを受けたばかりです。私の自業自得ですが。(10/4 記)