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主体性のある党員へ

2004/10/05 ロム3

 党員一人一人が主体性をもつとどういうことになるだろうか。
 党員一人一人の周りに人の輪が出来る。それこそが細胞だ。昔は党 支部とは言わずに、党細胞と言ったものだ。

 自分で人の輪を作るのだから、お金もかかる。上にばかり上納は していられない。
 現状のさざなみは、「さざ波」細胞ともいうべきものだろう。

 一つ、一つの細胞の細かい動きに上からの指導はないのだから、自分で世の中の動きを勉強して、周りに伝えなくてはならない。学習は絶対条件だ。

 細胞は寄り集まることも出来るので、幾つかの細胞で、勉強会などは可能だろう。その際、上部からの大まかな指導や、討論も可能だろう。

 集まって、助け合って、話し合って、楽しみ合って、細胞は大きくなり、分裂して行く。

 今は、昔と違って、インターネットが活用出来るので、ネットで、 学習も討論も可能だろう。赤旗はもしかしたら、不要になるかも 知れない。

 中央は、小さな政府になればいい。中央委員なんて、元国会議員の 古手だから、年金をいっぱいもらっているのだから、地域で活動すればいい。

 現在の中央の発想では、財政に困ったら、すぐカンパ、カンパだろうが、そういう発想でいつまでもつことやら。

 私が批判している「医療生協」は、医療(生産)に不要な人員をかかえている。経営が苦しくなったら、カンパ、カンパと組合員に言ってくるだろう。現状では、各支部に出資金競争をさせている。

 出資金と、医療経営とは、別物だと思うのだが、どうも混同しているようだ。以前一度倒産した病院なので、20年前の出資金の一部は、まだクローズドされていて、新規の出資金のように自由には、引き出せない仕組みになっているのだが、そんなことも知らない事務員たちが、働いている。

 支部委員は、2,3度支部委員会にでれば、これはやばいと思って 口実をつくっては、やめてしまう。すると、又、新手の支部委員を集めてくるようだ。全く、西も東もわからないような人が経営委員になっているのだから、経営はどういうことになるのか。形式だけととのっていればいいのだろう。だから、共産党は、形式主義の党といわれるのだ。

 患者は、組合員で、組合員は、経営にも責任をもたなきゃいけないらしい。そんなやっかいな病院にいつまでもかかっていると思っているのかい。と、言いたい。患者は、自分の病気を治すのに一生懸命だから、良い医者のいるところに行ってしまう。

 これが、「生産手段の社会化」の現実版だと思う。かかわりあいになりさえしなければ、日本においては、実害はない。今の共産党が政権をとるようなことはないだろうから、将来においても実害はない。
 でも、かかわりあいになりさえしなければと思うのも無責任な気もする。だから、危ないことを解ってほしい。

 不破さんは、狂っている。狂った人のいうことを真に受けて共産党以外にも、大きな組織があぶなくなるのではないかと心配である。

 早く、一人一人の党員が主体性をもって、活動できるような党に変革してほしいものである。