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一般投稿欄

11/16 徐庶さまへ

2004/11/19 ロム3

 徐庶さんが当面離党なさらないと知ってうれしいです。
 私が離党したのは社会主義がまだ崩壊する以前のことで共産党が下り坂に差しっか かった頃でした。どうみても党内では個人の主体性を守る事の出来ないお先まっくら な時でしたが、今は、多くの人が日本共産党の矛盾に目覚めてきつつあります。党勢 は、どん底ですが、みんながひとつ心になって矛盾を克服して、地道に活動にとりく めば、すぐに挽回できると思います。

 日本の社会全体も官僚主義を排除する方向にありますので、日本共産党の官僚主義 も先が見えてきたのではないかと思います。
 日本共産党に投票しない人でも、共産党は大事な政党だという人は多いです。胸を 張ってどうぞ日本共産党に入れて下さいと言える日は近いような気がします。

 徐庶さんもいましばらくは党の矛盾に目をつむって、自分だけは矛盾のない活動を されてはいかがかと思います。どうかご自分の主体性を守ってください。

将来日本がまた戦前に逆戻りした、あるいはその結果戦後になったとき、私は私の血 を引き継ぐものたちに胸を張って「私は日本の軍国主義化に堂々と反対した」と言い たいのです。その証拠として共産党員であり続けたいと思います。だからこそ共産党 には常に自分を厳しく律する党であってほしいのです。

 弁証法的発展によれば、戦前に逆戻りということはあり得ないと私は思って居ます。 歴史はくりかえしますけれども、人間は経験からまなびますので、螺旋階段状の発展 であって、似た景色であっても、本質的に違う部分を持っていると思います。

 ヨーロッパでは、二度の世界大戦の悲劇を教訓として、EUが生まれました。もう 欧州人同志でたたかうことはないでしょう。(銃でと言う意味で商売上の闘いはのこ りますが)

 最近のすさまじい情報の発展によって、危険への抑止力が増えたと 思います。過去の繰り返しを警戒するよりも未知の危険を察知する方が重要ではない かと思います。

私がかねがね問題にしている市会議員についても、人文学徒さんが言われるような大 衆活動がまったくと言っていいほどされていません。議員として自分の票を作ってい くどころか、かえって減らしている状況です。共産党の基礎支持票をあてにしている としか思えません。これではいつまでたっても議席は増えないことは明らかです。  私が住んでいる地域も今、合併問題で揺れています。もし合併になれば、議員比率と して選挙での闘いが厳しくなるのは当然のことなのですが、その現実が当の議員さん には解っているのかいないのか、じつにのんびりしたものです。

 そういうのんびりした議員さんは、選挙で陶太されればよいと思います。そのこと に対して徐庶さんが責任を感じる必要はないでしょう。次の選挙で時局のわかる人が 出ればよい。長い目で見れば何とかなると思います。日本共産党を突き放した目で見 てないと、党内で主体性を守るのはむつかしいと思います。雰囲気に流されてあつく ならずに人間としての主体性を守る。そういう党員像が増えないと日本共産党は変化 しないと思います。現実に私の周りでもそういう党員さんは居て、非党員の人々に尊 敬されています。

人文学徒さんの新しい党の姿、ようやくおぼろげながら全体がつかめてまいりました。 まだまだ私の知識では人文学徒さんの深慮の理解には至りませんが、ようするに弁証 法的唯物論を形而上学的に永遠に変わらないものだとするとらえかたに問題があると いうことでしょうか。政党の力の結集の根源として弁証法的唯物論では大衆の支持は 得られないということでしょうか。

 人文学徒さんの哲学の解釈を知って、不破さんが宗教者におもねっている理由がわ かりました。
 私はむしろ逆だと思います。科学(唯物論)を打ち出してこそ宗教者もひきつける ことが出来ると思います。
 心やあの世の問題は宗教者にまかせておけばよいのですから。
 共産党は、政治の問題を受け持てばよいのです。

 形而上学は、弁証法とは、対極的な思想だと思います。
 マルクス主義的に哲学を大分類すれば、弁証法的唯物論、形而上学的唯物論、弁証 法的観念論、形而上学的観念論の4つに大別出来ると学びました。

 現状の日本共産党の哲学は、弁証法的ではないように思いますし、宗教におもねっ ているし、もしかしたら、形而上学的観念論に陥っているかも知れないと思ってしま います。
 弁証法的唯物論から見れば最低の哲学ですね。
 哲学を変えることが最急務だと思います。