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岡部伊都子さんのご快復を切望する

2004/11/22 樹々の緑 50代 会社員

 歳を取ってやや涙もろくなってきたオッサンのたわごとでサーバーを消費して 申し訳ない。

 11月18日(木)付「しんぶん赤旗」の第9面「みみず鳴く」というコラムを見て、心 が凍った。
 「さようなら」と題された、予定ではあと1回を残した状態での連載擱筆の挨拶で ある。筆者は、京都在住(多分)の随筆家岡部伊都子さんだ。

> たとえ病気になっても書ける間は書きたいと思っていたのですが、ペンを持てな くなったら、もう、おしまい。…(中略)…あと一回、最後は「冬の蝶」というタイ トルにしようときめていたのですが、もう私が冬の蝶みたいになってしまいました。

 不覚にも私は、このコラムの連載に気づいていなかった。
 実は、筆者の岡部伊都子さんについても、故三浦綾子さんの『それでも明日は来る』 の孫引きでしか存じ上げていない。そこには、

> 最近、随筆家岡部伊都子さんの『私の中の戦争』を「朝日新聞」紙上で読んだ。 出征することになった婚約者が、
「この戦争はまちがっている。ぼくは天皇陛下 のためになんか死にたくない……」
 と言った時、彼女は思わず声高に、
「どうしてですか。わたしなら喜んで死ぬわ」
 と、言ったという。私はここを 読んだ時、思わず涙が噴き出すのをとめることができなかった。私と一つちがいの岡 部伊都子さんは、当時の私と同様に、かの戦争を聖戦と信じて疑わず、婚約者を戦地 に送った少女だったのだ。私には、この岡部さんのたまらなさが、よくわかった。こ んなたまらなさを思って、私もまた敗戦後今日まで生きて来たからである。

と記されていた。ちょうど、『きけわだつみのこえ』の岩波文庫版が全面改訂される とか何とか言われていたときだったように思う。記憶があやふやだが、戦地に赴いた 学徒兵が、活字に飢えた結果、僅かな休息時間に「メンソレータム」の効能書を何度 も繰り返して読んだという手記がいやに心に引っ掛かっていて、「なぜゴタゴタが起 きるのか」と残念に思っていたときだった。

 と同時に、この岡部さんの話を(孫引きで)読んで、有馬頼義『遺書配達人』の 「九段の桜」の話を思い出してしまった。満洲(旧表記のまま)の戦地に出征した恋 人が送ってきた「九段の桜の下で再会する日を、楽しみにしています」という手紙の 言葉を、デート場所の約束だと勘違いして、「あたしも九段の桜の下でお会い出来る 日を待っています」と返事をした、少女の話である。
 興醒めだが念のため書いておくと、「九段の桜」とは、A級戦犯とともに、天皇の ために死んだ軍人・兵士を合祀している靖国神社のことであり、「お国のために立派 に死んで靖国に(神となって)還って」来る以外に「再会」の方法がない、悲惨な状 況を示したものに他ならない。

 その悲惨な思いを胸に、命を削るようにして非戦・反核を静かに唱えられてきた岡 部伊都子さんが、どうやら体調を崩されているらしいのだ。
 「赤旗」の記事からは、詳しいことは何も分らない。しかし、どうか、体調が快復 されるように、切に祈らずにはいられない。

 戦中期から戦後にかけての社会学的民法学の泰斗であった川島武宜先生が、『所有 権法の理論』はしがきの末尾で、

> 私のこの講義をきいた学生はほとんど全部戦線に出た。その中の相当多くの人々 は帰還した。…(中略)…だが、同時に、少からざる学生は、私の不完全な講義をき いたままもう永遠に帰つてこない。本書を、私はこれら戦没学生の逝ける魂に、かぎ りない友情をもってささげたい。

 と書かざるをえなかった歴史を二度と繰り返さぬよう、私も決意を新たにしている。 小泉首相、鹿屋に行って涙を流しているくらいなら、「戦争には反対だ!」と叫んで、 とっとと自衛隊をイラクから撤収してくれ!もっとも、「存在が意識を規定している」 からには、ないものねだりなのだろうが…。駄文で申し訳ありませんでした。