84年の問題ですね。時代的にはトマホーク配備反対運動が闘われ、キャンパス内では民青の諸君が「反核アトムの会」を結成して運動を繰り広げていました。まあ民青のみなさんにいわせると「反核アトムの会」は大衆団体で民青年同盟とは違うといっていましたが、民青同盟以外のメンバーはいなかったんじゃないかな?
私はサークルで被爆証言の聞き取り、被爆者援護法制定運動への協力、トマホーク配備反対の運動に参加していましたが、彼らの運動にはすごく違和感があり一線を画していました。この違和感はむぎむぎさんが原水禁運動に抱いている違和感と同じものだったと思います。「どうせ直ぐに反核アトムの会の運動はやめて、同じメンバーで別の運動を始めるんだろう!あんたらが運動をやめても被爆者の苦しみは終わらない。あんたらのそういう安易な姿勢が被爆者からどう見られているか、被爆者の心を傷つけることすらあるのが分からんのか!」
84年問題の真相は当時は「団体旗問題?そりゃなんだ?」という状態でよくわかりませんでした。。真相は人文学徒さんの指摘の通りでしょう。また、そういう体質があることは学生以来の体験から身をもって承知しています。
卒業後、労組活動に参加するようになってからも、原水禁世界大会への学習会では64年の分裂は「社会党、総評が自己の主張を押し付けようとして失敗、原水禁を結成した」という説明がありました。「あ~あ、この人は本気でそれを信じているのだろうか???」
84年問題の見方については、私と人文学徒さんの間には溝はないと思います。
ずるいと言えばずるいかもしれません。学生時代の私が今の私を見たら糾弾してくるだろうとも思います。しかし実際問題として、今、正面切って84年の問題を労組で、原水協の会議で持ち出すことで運動は発展し前進するのでしょうか?私にはそうは思えないんです。
学生時代は友人は原水協系より原水禁系の活動をしている友人との方が馬が合いました。特に反原発=>エコロジー=>公害病患者の支援という友人がいて話が合いました。○○病患者ではなく「○○さんが公害病で苦しんでいる、公害病と闘っている」。「公害病はけしからん」という理屈・理論から始まるのではなく、個々の人間が受けた苦しみ、その闘いに寄り添うことからはじまると。
むぎむぎさんは、よく「被爆者のおじいさん、おばあちゃん」といういい方をしますが、私も同じです。高校時代の被爆証言の聞き取りが縁で、去年96歳で亡くなるまで私を孫のように可愛がってくれた○○さん。「すっかり体が弱くなって……」といいながらも、先日も集会に杖を突きながら参加してきた△△さん。そういう関係があるから私は今でも原水禁運動に参加しているんだと思います。
>草の根さんも僕らに文句を言うより、こういうことをもっと語ればよい。しかし、これは無理でしょうね。現在の共産党にとって「生命線」のようなもんですから。
私が運動の中で最も語られなくてはならないことは○○さんや△△さんの思いであり願いだと思っています。実際に原水協の会議の中でも、原水協の活動の中でも、「被爆者援護連帯」「被爆者の思いや願いを受け継いで」とかいわれますが、実際の活動は必ずしもそうではありません。
「私は被爆者をほっぽっといて、分裂だなんだと騒いでいる原水禁運動にずっと反感をもっていた。」会社を定年退職後に私の県の被爆者の会の会長さんになった方が言っていました。私は切実に求められているのは被爆者と連帯し、その思いや願いを引き継いで行く原水禁運動の構築だと考えています。
被爆証言を聞いていてると、被爆者にはある共通の想いがあることを感じます。それは肉親や友人、たくさんの亡くなっていった人たちへの慰霊・鎮魂の気持ちと「核兵器はどんなことがあっても許されない。使えば人がこうなる。」という想いです。(体験や思いを語る被爆者が少数派で、圧倒的多数の被爆者が物言わぬ被爆者であることは承知しています。その上での書き込みです)この想いが原水禁運動の根本になっていれば64年の分裂はありえなかったでしょう。
84年問題は共産党、原水協は総括し自己批判するべきだと私も考えます。しかし、それを条件にする「総括し、謝罪しないから参加しない、一緒にやらない」という立場には立ちません。「参加し、一緒に行動する中でそういう部分を変える可能性を追求する」という立場です。もし再び84年のような問題が起これば、共産党の大衆組織の引き回しと闘います。もし敗れたとしても一歩後退二歩前進を期して闘いを継続します。労働運動では、(対経営、対インフォーマル組織との力関係から)同じ局面にしょっちゅうぶつかっていますからね。
>草の根さんも僕らに文句を言うより
文句を言うつもりは全くありません。ここには原水禁運動や原水禁運動の分裂を批判する意見はありますが、実際に主体的に原水禁運動に参加している立場からの書き込みがありませんでしたので、そうした立場から書き込みをさせていただきました。
PS
議論の出発点であった原水禁の「ノーモア ヒロシマ・チェルノブイリ」への批判も、被爆証言の聞き取りから始めた経験から出発したものです。私には「絶滅だけを目的にした悪魔の兵器」がもたらした被爆者の証言する「あの日」の「地獄」、広島・長崎の原爆被害とチェルノブイリの被曝、放射線被害がどうしても同列に論じられるものだとは思えない。
PS2
むぎむぎさんは、今までの書き込みを被爆者のおじいさん、おばあさんに向かって面と向かって言えますか?私はむぎむぎさんの立場には立てません。もし私がむぎむぎさんと同じ立場に立てば、それは今まで私に「忘れたい」「あの日のことは被爆者でなければわからない」「被爆者どうしなら話しをするけれど、何の関係もない人に話してもわかってもらえるはずがない」と話しながらも、体験を語ってくれた被爆者を裏切ることになると考るからです。