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re:むぎむぎ様の11/4のスレへのお返事の返事 その2(草の根のひとり)

2004/11/25 草の根のひとり 40代

 こんばんは。
 早速ですが、

>核抑止論でも、どういう理論でもかまいませんが、アメリカを非難するばかりで、 他国を非難できない団体、(先の中国原潜の領海侵犯での沈黙は苦笑もんです)が提 案する理論を、アメリカが受け入れるわけがないじゃないですかって事です。

 というコメントですが、むぎむぎ様は原水協にしろ原水禁にしろ中国や北朝鮮には 何の抗議もしない団体だと思っているのでしょうか?

 原水禁は「北朝鮮の核兵器開発に断固抗議し、即時中止を求める声明」

 原水協は 「北朝鮮の核開発放棄を要求する」

 という声明を出しています。この声明についてのむぎむぎ様評価を教えてくだ さい。

>草の根のひとり様は、中距離戦術核制限条約(INF条約)が成立した仮定をご存知 ですか?その核抑止論の論旨で、地上発射の中距離核兵器は全廃されたのですが、

 私はこの「核抑止論の論旨で、地上発射の中距離核兵器は全廃された」という事実 を知りません。ぜひどういう過程で「核抑止論の論旨で、地上発射の中距離核兵器は 全廃された」のか、むぎむぎ様の考えを教えてください。

>私が言いたいのは、「核抑止論の論旨で、核兵器は全廃された」事ではなく、原水 禁のHPのように、(中略) 実際はソ連がSS20を配備して、NATOが、アメリカのパー シング2を導入する事を決めたのが経緯。こんな1980年代の最近の歴史的事実ま で捻じ曲げてまで、アメリカ批判をしたい反核団体のいう事を(草の根のひとり様は 原水協の方ですが)アメリカが聞くとお思いでしょうか?原潜の領海侵犯を非難でき ない、自分たちのHPで歴史的事実事実を誤魔化そうとする反核団体を。

 むぎむぎ様の引用が正しいとすると(リンク先が変わっていました)、原水禁の主 張は誤りです。ただもう少し年表風に補足し、この前後の私自身が受け止めた記憶を コメントすれば、

1975年 サイゴン陥落(ベトナム戦争終る)
1977年 ソ連、SS20の欧州配備開始
1979年 NATO理事会、中距離核兵器の欧州配備決定
    ソ連、アフガニスタン侵攻
1980年 アメリカ、対ソ制裁発動
    韓国、光州事件
    モスクワ五輪ボイコット
    ポーランドで「連帯」の運動始まる
1981年 米国、レーガン政権成立
    西ドイツで中距離核兵器配備反対デモ
    反核運動ヨーロッパで広がる
    ポーランドで戒厳令
1982年 米国、SDI構想発表
    平和のための広島行動、東京行動
    SSD?、ニューヨーク100万人デモ
1983年 中曽根内閣成立、「日本不沈空母化、三海峡閉鎖」発言。
    米国、ヨーロッパに巡航ミサイル、パーシング?配備開始
    ソ連による大韓航空機撃墜事件
1984年 米国、第七艦隊へのトマホーク配備発言。

 私の記憶では(皮膚感覚では)、デタント(米ソの平和共存路線)から米ソ対立へ の転換点は1979年のソ連のアフガン侵攻でした。その後、レーガン政権が誕生し、米 ソの対立の激化、核戦争3分前、「アメリカの限定核戦略構想」への危機感から一気 にヨーロッパでも日本でも反核運動(=原水禁運動)が高揚しました。

>この趨勢を見て、私は、かつての「反核運動」を思い起こしました。これは、一九 七〇年代、ソビエトが、中距離弾道ミサイルSS20をヨーロッパ正面に 向けて配備 したことに対し、西ドイツのシュミット首相が、同じく中距離弾道ミサイ ルパーシ ング?をソビエト見向けて実戦配備する決断をした。そして、一九七九年、 実戦配備 を完成させるのだが、この時、ヨーロッパでは、若者を中心とする「反核運動」が連 日何万人もシュミット首相を非難して、パーシング?導入非難を繰返した。しかし、 ソビエトのSS20導入への非難はなかったのです。ソ連崩壊で、この「反核運動」の真 相が明らかになった。それは、この運動が、ソビエトの工作により火がつけられてい たと言うことだ。つまり、これは西側に、SS20に対抗するパーシング?導入を阻止す るためのプロパガンダ戦略であったのだ。

 むぎむぎ様の1980年代初頭の反核運動(私は原水禁運動と呼びたいのですが)に対 する評価も、この議員さんと同じなのでしょうか?
 あの頃は、日本でもソビエト脅威論がずいぶん言われましたね。ソビエトが北海道 に侵攻してくるとか、そんな本が書店にあふれました。私はといえば、親ソ政権の、 しかも地続きの人口3600万のポーランドを押さえかねているソ連が、何のために反ソ、 嫌ソ感情の強い、しかも海を隔てて補給路の確保さえ難しい日本に攻めてくるものか。 来るなら米ソが戦争になった場合に宗谷海峡を押さえに来るだけだ、と思っていまし た。なぜかあの当時、ソビエト脅威論を唱えた人たちは、ソ連が日本に侵攻するとす れば、それは米ソが戦争状態になった時だという前提を話さなかったし、その時は地 上部隊だけではなく核ミサイルが飛んでくるだろうという話もしませんでしたね。

 >反核運動がソビエトの工作という、イメージをばら撒きながら、それを改善する 事もせず、核廃絶を訴えても。

 と言われても、私に「ソビエトの工作」という感覚はありませんでしたし、いまも ありません。「ソビエトの工作」というより、米ソにとって「限定核戦争」であって もヨーロッパや日本にとっては全面核戦争、そんな戦争をされてたまるか!そんな戦 争で死にたくはない!というストレートな反応だったと思っています。NHKも「核戦 争後の地球」で米ソ全面核戦争による「核の冬」を正面から取り上げた番組を作って いましたね。

>共産党が推した、候補者は、超タカ派の国会議員と戦って敗れてます。

 選挙ではここでお話しているようなテーマは争点にされません。自民党も隠すし、 マスコミも報道しません。

>日本国内のグループと協力できないのに、よその国のグループと協力できると、思 う理屈がよくわかりません。

 原水禁世界大会は統一できていませんが、個別課題で組織間で一致点で協力する動 きはありますし(この間ずっとお話してきました)、個人と個人の間での情報交換や 協力関係はありますよ。私自身、原水禁の「ノーモア ヒロシマ・チェルノブイリ」 という運動方針は批判しますし、原水禁運動の障害であると考えていますが、原水禁 の運動でも反原発という個別課題(私は原発には反対ですし、核と人類は共存できな いという考え方にも賛同しますが、原水爆禁止と反原発の運動を一緒にするべきでは ないと考えています)では署名や集会など協力、参加しています。

>よその国のグループと協力して何かやって、それなりの成果がでたら絶対、「この 成果はわが党が云々かんぬん」「この成果は私たちが云々かんぬん」と手柄争いの分 裂行動になって、世界の顰蹙、失笑を買うのが落ちです。

 これは特定の事実を踏まえてのことなのでしょうか?だとしたらその事例を事実に 即し具体的に教えてください。共産党や社民党、原水禁ではなく原水協がそういう主 張をしたという事実を私は知りません。もし事実なら私の参加する原水協の会議で問 題にさせていただきます。また、むぎむぎ様の誤解であるならば、事実関係について 知っている範囲で説明させていただきます。