基本的な認識にかなり溝があるので、かなりしつこい議論をしなければならな いような気がします。20代というと、新米技術者である私の息子と歳が余り違わな いと思うので、他人事のような気がせず、息子に「会社の業績を上げるために努力す るのはいいが、会社のために犠牲になるな。自分を大切にしろ」と言ってきたのと同 じスタンスで書きます。といっても、えらそうに上から物言うつもりはないので、対 等の議論で反論してください。
ただし、このサイトを運営する人たちへの敬意から、その趣旨から外れた議論 は許されないと思うので、できるだけ現在の日本社会が抱える根本問題に迫るような 議論にしたいと思います。
基本的な認識の相違は、主に以下の4点にあるように思います。
1.制度やシステムと現実のギャップ
2.人間性の現実
3.人間集団の行動様式
4.意思決定というのはクリアなものではないということ
1.制度と現実のギャップ
不当解雇を禁じる法律の下でも、多くの労働者が意図的な配置転換や露骨で組織的
ないやがらせによって、不本意な退職に追い込まれてきた現実は、ご存知だろうと思
います。欧米でも日本でも、労働者を保護する法律は、総資本と労働運動との戦いの
中から実現してきたものです。それは憲法と同じで、それを日常的に活かし、機能さ
せる戦いを継続しなければ、形だけとなり、力を失います。
どんなに良い法律も制度も、我々がそれを活用し、発展させる戦いを止めれば、た
だちに空文化し、飾り以下の存在になります。
ましてや、企業が法律を守り、「消費者に尊敬される良い企業市民になるため」
の社内ルールを守る、と言っても、それは第一義的には企業イメージを良くするため
にやっているのですから、ルールがあるからには守っているに違いない、などと考え
るのはナイーブ過ぎます。かつては、「会社の門を入ったら、憲法は無いものと思え」
などと、堂々と言っていた大企業が少なくないのですから。
歴史のある名門企業が、堂々と人権侵害を繰り返してきたのに、イメージ対策の社
内規定など、まともに守られると思いますか?
私は「企業は全て悪」などとは思わないので、尊敬する企業も有ります。しか し資本主義社会で、過酷な競争を生き抜こうとしている企業は、なりふりかまわずコ ストを切り下げ、利益を上げようとしているのが現実です。「株式会社」の原理が貫 徹されれば、利益を上げて株主に利益を還元できない経営者はクビになるのですから、 甘いことは言っていられません。
建前の「法律遵守」や「良い企業市民としての行動規範」が守られるためには、 新米社員でも上役のおかしな行動を批判できるような雰囲気が必要です。また、社外 の市民(消費者)からの批判に「会社として」きちんと答える必要があります。これ は言うは易くして行うは難しです。
2.人間性の現実
現実の世の中は、残念ながら「エンジニア」さんのような真面目な人間ばかりでは
ありません。どんな有名企業にも役所にも、かなりあくどい人間がいます。しかも不
思議なのは、そういう人間が出世することです。
解散前の山一證券の最後の社長さん、「社員は悪くありません!」と言ってお お泣きした、野澤さんと言いましたっけ?あの人は善人でしたが、調子の良かった頃 の山一證券では、絶対に社長になれなかった人です。それまでの歴代の社長が、不正 行為を重ねて倫理的にも経営的にも会社をおかしくして、にっちもさっちも行かなく なったところで投げ出して、問題を隠してあの善人に自分達の汚れたお尻の後始末を 押しつけたのです。押し付けられて社長になった野沢さんは、社長になって初めて知っ た余りにひどい実態に、腰を抜かしました。その結果が、あの号泣です。
会社の実態を一般社員だけでなく、幹部にも知らせないでおいて、どうしよう もなくなると自分の取り分だけさっさと取って後始末を善人に押し付けて逃げる。そ んな汚い奴らが、決して山一だけではないことは、ご存知でしょう。アメリカではそ んなうす汚いスキャンダルが、エンロンという企業で空前の規模で展開されました。
「エンジニア」さんは「出世する人たちはそれなりの業績を上げてきたはずだ」 と言いますが、少なくとも一部の企業では、実態は全く違うと私は主張します。企業 によっては、能力と熱意ではなく、ゴマすり上手こそ出世の条件なのです。
私が三菱自工について書いたのは、一連のスキャンダルが明らかになる前から あそこはひどい会社だと思っていたので、あそこに努めていた友人と時々電話で話し ていたからです。彼は、「社内で会社のためというのは自分の出世のためという意味 だ」と言っていました。
ここで問題なのは、企業の発展のためには経済環境と自社の力と言う現実の条 件と、目標をつき合わせて、その達成のために何が必要かを、合理的に判断すること が必要ですが、三菱のような歪んだ体質を持つ企業では、自分の出世のために上役に 取り入る「ゴマすり」文化がその合理的な判断を狂わせるということです。
なにしろ、「どっちのやり方の方がもうかるか」という単純なゼニ計算でさえ、 間違った判断をする人(会社)が多いのですよ。ましてや、「ここで損失を出しても 間違いを認めて世間に謝罪するか、それとも内部でこっそり処理するか」という選択 で間違った判断することが多いのは当然です。しかも問題なのは、ギャンブルと一緒 で、始めに間違った選択をすると、それが拡大し深刻化しても「今更やめられない」 ということで、泥沼化し、傷を深めることです。
最初にリコールによる損失と批判を避けるために行った小さなごまかしが、ど んどん膨らんで、会社の存続に関わるような大問題にしていまったのです。始めに適 切に処理していれば数十億円の出費ですんだのに、それを避けたために、数千億円の 損失につながるような大問題にしてしまう。この愚かさは、「エンジニア」さんのまっ とうな認識では理解できないのではないですか?
自分の力と環境(消費者の目や法制度)を含む客観的条件を適切に判断できず、 「なんとかなるだろう」というノーテンキな事なかれ・先送り体質で重大な決断をし て、取り返しのつかない結果を招く。これはあの壮大な愚行であり巨大な悲劇である 太平洋戦争へ突き進んだ戦前の日本の指導者達と全く同じ物です。そのような体質が、 今でもしっかり残っているのです。
長くなったので、あとの半分の論点は次回に回します。