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一般投稿欄

11.10党員欄  八方破れの人文学徒さんへ

2004/11/12 ロム3

 人文学徒さん、横やりごめんなさい。 

まず、第1点目の説明です。民主党も旧社会党も議員政党ですが、僕の提起は支部の 日常的な護民官活動、「生活改善サークル」を基礎とし、その上に政党機能、議員活 動が乗るという違いがあります。

 現状の日本共産党は、そういうことだと思うのですが?

議員政党でも後援会の日常活動はそれなりにあるでしょうが、後援会はあくまで個々 の議員後援会であって、「全国単一の日常的な要求実現サークルの各支部」というよ うな強力なものではありません。なお、日本共産党が口では支部に「大衆運動と党勢 拡大との二本足の活動」を要求してきましたが、党弱体化ばかりが続く中で、セクト 的に後者の死守だけが要求されて前者が支部任せになって事実上無になってきた、そ の前者に基づいた抜本的党再建というように考えていただいてよいかと思います。

 その通りですね。日本共産党は、蒔かぬ種を収穫しようとしている ところに間違いがあります。昔から、「蒔かぬ種は生えぬ」と言われているのにね。 一向に種を蒔こうとしない。善意の党員が身をすり減らして蒔いた種籾さえも刈り取っ て持って行こうとする。

地域、職場、周囲の諸個人に実際に役に立っている支部だからその政策、言葉も信じ てみようとなっていく、そういう意味を与えて、「生活改善サークルが基礎」と言っ たわけでした。

 おっしゃる通りだと思います。

次に徐庶さんばかりではなく、ロム3さんも述べられている事項が、第2点目の説明 です。弁証法的唯物論を綱領の「科学的社会主義」の背後に持っていること、それが 正しいこと、そこが日本共産党の他政党とは違う特徴であって、これはそうあり続け たほうが良かろうという主張についてです。僕の先回の提起は、弁証法的・史的唯物 論が正しかろうが間違っていようが、そういったものを政党の綱領に入れること自身 が間違っているというか、今日的でないということでした。以下そのことを説明しま す。

 現状は入っていませんね。科学的社会主義とは、一体なんですか? マルクス・レーニン・不破主義ですか。現状はそうですね。 こういう風に名を連ねた場合、最後の名前が一番有効です。言い換えれば不破主義と いうことです。

第一に、唯物論者以外、たとえば宗教者などを初めから「間違っている」として排除 するのは政党としてはセクト主義で、愚かだということです。第二に、こんなもので の一致はやめて、中期的政治目標、そういう目標精神の地域、職場、周囲などでの個 別的、部分的、日常的実現ということでより広い人々と一致していく政党でいこうと いうことです。

 現状と変わりありませんね。宗教者におもねったり、真の哲学をこんなものと 切り捨てるところも現状どおりです。ところで科学的社会主義とは、マルクス・レー ニン・不破主義が現状ですが、人文学徒さんも、その主義でやられるわけですか?そ れとも、マルクス・レーニン・不破・人文学徒主義で行かれるわけですか?多分そう でしょうね。

この批判は先の第1点目の説明で述べたことになりますね。そして第三にこんなこと も言えましょう。「真理の政党」というものが、時々のその解釈を誰が提起するかと いうことから、官僚主義を生んだということです。過去の共産党の個人崇拝はすべて ここにも起因していると思います。この点については、「組織論・運動論」への9月 16日付の僕の投稿をご参照ください。

 再度読ませていただいてなかなか優れた論文だと思いました。

ローマ帝国かその皇帝かというような存在ではないか。ただし、「科学的社会主義」 を民主集中制という組織制度で追い求めていくということを承認した人々の世界での み通用する皇帝、外から見ればつまり「裸の王様」でしかないのではあるが。

 そうです。不破さんは王様というより神様です。よって日本共産党は、不破教 です。宗教から科学に戻るために弁証法的唯物論という哲学に戻るべきだと私は思い ます。

外からは「裸の王様」だというこのことは党自身も認めている。「政権を握った暁に も、民主集中制を国民に押し付けるなどということは決してしない」、「これは我々 だけの内部規律でしかない」などと必死に弁明している有様である。

 政権は取れっこないから安心ですが、もし、取ったら北朝鮮と同じ 国になってしまいますね。

以上をまとめて言えば、「正しさ、正当性の主張、宣伝、認識」、つまり真理やその 知によってまとまる政党ではなく、護民官活動自身、その成果自身によってまとまる 党であるべきだということです。

 誰がまとめられるのか問題ですが、中心になる思想が必要です。科学的社会主 義という福袋のような中に何が入っているか訳の分からないものでなく、弁証法的唯 物論で行くべきです。長野の田中康夫さんは、弁証法を標榜しています。心配ならば、 弁証法だけでもいい

このままでは、「我々は真理の党であり、他より何事も、おおむね正しい」という主 張だけが虚しく残って、「一体、どういう正しい行動、成果を作ってきたのか」とい うものが何も残らない政党になってしまうのではないでしょうか。戦前の党を振り返っ て政治学者、丸山真男は「大政翼賛体制の中でひとり真理を主張したといくら誇って も、結局は潰された政党であって、力がなかったのだ」、「政治というものは結局、 結果責任。日本共産党もその意味では日本の侵略戦争への(それを止められなかった という)責任があった」と述べたかと思います。そして現在もまた国会では弱小政党 となって、この丸山真男が言ったようになりかかっていますね。

 その通りですね。

まー、こういった実際的発想法が日本共産党には現在なお少な過ぎると僕も言いたい わけです。もう一度まとめてみます。「弁証法的唯物論とか科学的真理とか、

 弁証法的唯物論と、科学的真理などというあいまいなものとを、いっしょくたにし ないでください。

だから正しい政策が提起できると表明するとかで、他の政党から己を区別する自己満 足、独善、セクト主義そして結局、官僚主義、個人崇拝はやめて、中期的政治目標の 一致でまとまり、

 誰がどうやってまとめるのですか。人文学徒さんが、不破さんにかわって、法 王になってまとめるのですか。

またなお、日本共産党の教科書に書いてあるような弁証法的唯物論が、それだけとし て正しいというわけでもありません。

 どこの教科書に書いてあるのですか。綱領にはありませんね。

旧東ドイツの哲学会でさえ、既にこんな論議が優勢でした。弁証法的唯物論と史的唯 物論とを分けるのは間違っている、弁証法的・史的唯物論として一体の哲学と見るべ きなのだと。こんなことは当たり前の話で、人間社会の唯物論的説明がなされなけれ ば、弁証法的唯物論が正しいなんて言うこともできないわけです。そしてまた、その 社会の唯物論的説明についてもマルクス、エンゲルスが既にその基本を「科学的に」 完了したなどと誰がいえるのでしょうか。特にマルクスは、これまでの歴史とその未 来について、唯物論的叙述のほんの輪郭を述べたに過ぎないと考えていたはずなので す。

 仮に弁証法的唯物論が間違っていたとしても、マルクス・レーニン・不破主義より はましでしょう。人間道に迷ったら、迷った最初の地点に引き返す努力が必要です。 今、日本共産党は完全に道に迷っていると思います。マルクス・エンゲルスの地点ま で引き返すべきです。
 それからマルクスを検証すればよいと私は考えます。

 これに対して共産党の教科書は、弁証法的唯物論の形而上学であるようにしか僕に は思えないのです。

 形而上学という概念は私は不勉強でよく理解できないのですけれど、そういうこと かも知れませんね。

 むしろ実際行動は観念論ではないでしょうか。完全に不破教だと思いますけれど。 不破さんは、思い出したように時々、弁証法的唯物論の講義をやりますけれど。「科 学の目」とか言って、結局不破教に戻って行ってしまうように思います。