「ネガとポジ」とは上手におっしゃる。そう、今の僕はネガ的なんだろうななどと 考え込まされたものでした。また、貴方の態度が「ずるい」などとは申しません。む しろ、いろんな体験を経由され、大事なことをよく「振り返られた」誠実な文章だと 感じつつ読みました。なによりも、このサイトにも見られるような否定的言葉だけに 対する、浅く反射的な、一つの感情をあれこれの言葉にしたというだけの「反応」に 過ぎない投稿とは違うと思いましたから。「ネガとポジ」、またもう一つ別の事項と して「言葉だけか『自分の中身』がついてリアルなものかどうか」。貴方が「むぎむ ぎ」さんらと最初から問題にしていたことがこういう言葉で述べられるような事柄で はなかったかと、僕は、考えています。
「私には『絶滅だけを目的にした悪魔の兵器』がもたらした被爆者の証言する『あ の日』の『地獄』、広島・長崎の原爆被害とチェルノブイリの被爆、放射線被害がど うしても同列に論じられるものだとは思えない」と闘い続けなければならないのだか ら、「引き回し」とも闘っていくのだということ、確かに了解しました。
広島・長崎とチェルノブイリ。あえて冷静に見させていただけば、大違いですよ ね。加害者側を言えば『絶滅だけを目的にした悪魔の兵器』と、「工場(基本的に は)」の「(人災?)事故」でしょう? 被爆というその被害者は同様の悲劇でも、 意図的大量殺人と業務上過失致死というほどの違いがあります。さらに、一方は今後 に向かってもその意図を顕わにしており、他方は資本主義社会なら会社が潰れるはず の事故ですから必死に防ごうとはしていくでしょう。コスト問題での怠慢があっても 意図的殺人とは言いにくいですが、「悪魔の兵器」は今後の使用、大量殺人、被爆者 を意図しているわけです。裁判の量刑に予防的意味があるならば、死者を出した場合 のこの両者に与えられる量刑は比較にならぬほどの差が付こうかと思います。そして 被爆者の方々の多くは、やはり意図する大量殺人兵器を憎まれるのでしょうね。こう いう加害側の大変な違いを無視して、被害側が同じだからということで一括りにする というのは、悪しき抽象の思考だと、僕も思います。ただし、原発の問題が廃棄物の 問題含めて小さいことというのではけっしてなく、ということね。
さて、こういうことを考えたついでに、ご参考になるかどうかこんなことも書いて みましょう。ちょっと年長者の戯れ言とお聞きください。
僕は、むぎむぎさんが顔をしかめそうなある種の「社会の未来を目指す人」をいつ ごろからかずっと抽象的活動家と呼んできました。分かりますよね? これが分か り、嫌い始める人々を今度は、「自覚を求める人」と言いましょう。貴方の文章にも ありましたが「自分の言っとることを本当に分かっとるのかね。それに自分の中身が どれだけあるの」と追及を始めるというわけです。ソクラテス起源ヘーゲル完成の弁 証法の、最もそれらしい場面ということですね。ヘーゲルの哲学を「自覚の学」とい うほどですから、自覚ってやっぱり難しいんですよ。さて、このまま人の言葉、ス ローガンの否定だけにとどまれば皮肉屋の傍観者、まさに「ネガ」オンリーの人とい うことでしょう。昔の全共闘理論家が好んだ哲学者ヘルベルト・マルクーゼをこれだ という哲学者がいました。こうして、自覚の姿にも敏感で、かつやはり社会の未来を 目指す隊列にも連なろうとする人、人間やっぱりそうありたいものです。自覚を問題 にするということはもともと、自分の行動を問題にするということのはずですから。 それが、ヘーゲルの弟子であるカール・マルクスの哲学に、初めて実践概念が座った ということの意味でもあるのだと思うのです。
妙なお返事になりましたが、本日はこれで失礼します。