北朝鮮問題欄のとおりすがりNさん、11/21付の2つの投稿とともに、3つの投稿を共感を感じながら、読ませていただきました。
党員でもなく、党を離れた私がこう言うのも変でしょうが、結論的には、私の希望としては、いまの日本共産党であっても、やはり支持し続けていただきたいし、特に「しんぶん赤旗」は、ぜひ購読を続けていただきたいと思っています。
それは、簡単に言うと、現在国会に議席を有するほどの政党の中では、やはり、日本共産党が相対的には日本人民の根本的利益を最も代表している(新潟中越地震に立ち向う姿には、それが凝縮されているように感じています)と思いますし、「赤旗」紙は、国内的には、「職場問題研究チーム」等による数次の連載に示されているような労働現場の実態把握だとか沖縄基地問題や消費税問題に関する国民運動の動向を知る上で、他紙にないメリットがあること、外事的には、イラク情勢、チェチェン情勢に関する限り、やはり、一般紙よりは総じて報道の視角や情報量が的確であること(これに比べて、中国・北朝鮮報道は無惨の一言に尽きます)、さらに、当面の政治課題について先駆的指摘も見られること、などからです。その気持ちは、多分、世代が同じことからも、とおりすがりNさんにも、充分伝わることと願っています。
そしてまた、あなたが、地元の年老いた党員の活動に身近に接して、支持購読をやめ辛い気持ちを持っておられることも、私の回りの状況・私の気持ちと全く同じです。
ただ、私の方がちょっと幸運だったかも知れないと思うのは、配達・集金に来る高齢の党員とも、過剰な防御的反応をされることなく、簡単な議論ができることです。もちろん、この場でしているような、込み入った議論は全然していませんが……。また、知り合いの指導的部署にいる(らしい)党員でも、私の問題意識自体には、一定の理解を示してくれる人がいることです。もちろん、その人にしても内心では、「樹々の緑は日和った動揺・不満分子で、仕方がないなー」と考えているかも知れません。
しかし、多分こうしたちょっとした幸運がなくても、やっぱり、現実と同じように支持・購読はしていただろうと思っています。
私がこのサイトの存在を知ったのは、皮肉にも「赤旗」紙上の非難記事からでした。その頃は、まだネットへの接続環境が貧弱だったので、本格的にコミットを始めたのは、この4月頃からです。まあ、それまで2年くらい、ほんの時たま閲覧だけしながら、「このサイトは本気かどうか」主として継続性の有無についてじっと見ていた、と言えるでしょう。
2~3年前の華々しい論文を瞥見した限りでは、「とても素人とは思えない」ことから、党指導部がいう「革マルの別働隊だ」という非難が当っているのではないかとも感じ(編集部のみなさん、ごめんなさい!)、未だによく判らないところもありますが、主宰者の同人は、本当にご苦労なさっていると思います。頭が下がります。
そして、ここからは私が勝手に想像することですが、日本共産党の右転落を阻止し、本当の意味での開かれた社会主義運動を構築するためにこのサイトが立ち上げられたものの、いざ投稿欄を開放してみると、それこそ百家争鳴の観を呈し、徐々に収束はしているけれども、常に揺り返しが起きうるという状況ではないかと思うのです。
私はこれは、日本共産党が特に1970年代後半以降、真の意味での基礎的な理論研究を怠り、同時に、現実の問題を現実に即して「矛盾を内包しつつ統一された運動形態において」分析するという弁証法的唯物論の具体的適用もおざなりにしてきたことの必然的ツケを、いま払わされているからではないか、と思っています。
それで、主宰者が「多分意見を同じくする人物は相当数いるだろう」と思ってサイトを立ち上げたら、様々なバリエーションを持った人たちが殺到し「言いたいこと」ばかりを主張してカオス状態になり、「新たな・緩やかに統一された運動を形成する気運が盛り上がる」どころか、ウンザリして遠ざかっていった人も多いのではないかと推測しています。「日本共産党も当てにならないが、その内部的・民主的改革を唱える人たちも、やはり当てにはならない」と、ガッカリしてやりきれない思いを抱いている人も多いのではないかと思っているのです。その点は私も、本当に残念でなりません。ここは、「日本共産党の民主主義的改革を目標とする」場であり、あえて反発を覚悟でどぎつい表現をすれば、「不満分子の不満のはけ口」などではなかったはずだからです。
私も、個人的にいろんな事情を抱えながらこの半年余自分なりに議論にコミットしてきて、「こんなことをしていて何になるのか」と虚しさにしょっちゅう襲われます。
最近偶然に閲覧した別のサイトに、「さざ波」の更新が間遠になっていることについて、即時性が保たれないことに不満を述べ・管理人の使命感の弱さを指摘する趣旨の意見が載っておりましたが、私などはむしろ、主宰者同人に事故や病気・リストラ等があったのではないか、同人の中に、この場の現状を見て意気阻喪しかかっている人が出たのではないかと、本当に心配しています。
私は、学生時代から20年くらい党活動を続けてきて、離党後10年くらいになるのですが、私の離党後入党された党員を自称する活発な活動家の発言を見ると、「これが党員の発言か」と、ある意味で驚かされます。
また私は、離党後この数年前までは、「赤旗」もしっかりと読んではいなかったので、20大会期~22大会期の議論には、憲法・自衛隊問題や沖縄特措法問題を除いて付いて行けない感じがしていました。
とおりすがりNさんは、ご自分の投稿が右翼と間違われる危険を感じておられるようなので、私などよりももっと、最近の党員の感覚に近いと思います。というのは、どうやら私の論調は、大勢の傾向からは「共産党的右翼」と目される主張らしいのですが、なぜ「右翼」と言われるのか、私には全く分らないからです。
むしろ私などには、盛んに論陣を張られている一部の方々の主張の方が、(レッテル貼りは嫌なのですが、手っ取り早く分るようにすると)昔でいう社会主義協会向坂派の硬直した論旨に見られるような「右翼日和見主義」的な主張に思えます。それはまた、当時のそうした論者に特徴的なように、容易に「極左日和見主義者」に同調する親和的傾向をも感じさせるものです。ですから、本来の「右翼的な小ブルジョア急進主義者」から右翼呼ばわりされていることに、不可解なものを感じているのです。どうでもよいことですが……。
「騙された」という感じ、「自分の感性と自分なりの証拠分析によって、自分が納得行かないことは、人が何と言っても保留して考え続けることの重要性」のご指摘、いちいち腑に落ちます。
私が「騙された」感じをはっきりと持ったのは、例の「東欧の激動」と共産党が呼んでいる諸事態に対する、当時の日本共産党の対応と評価に接した時です。
例えば、あのルーマニアは、当時87か国を法的に拘束していた「国際人権規約B規約」の当事国でした。ですから、当時から既に、政権担当者による系統的人権侵害は、それが「顕著」でなかろうが「明白」でなかろうが、それに拘らず、立派な「国際問題」でした。「赤旗」の常駐特派員を置きながら、その徴候さえ見抜けなかったこと、それを真摯に自己分析することなく「やむをえなかった」と言い放ち、あまつさえ「国内問題への内政干渉になるから、知っていても批判は許されなかった」と幹部自ら嘘を言い張る神経に、信じられない思いでした。この態度は、先の23大会2中総における不破氏の発言の中でも、第2次大戦の教訓と国連憲章の関係について述べたところで、意図的に「人権の国際的保障原則」に関する憲章第1条第3項を「など」とぼかして表現していることから見ても、何ら変更されておりません。
ソ連内部での人権侵害でも同じです。「党員でなければ工場長にはなれない仕組みになっている」ことに何らの疑問を持たず、したがって「赤旗」などでも報道せず、「社会主義国は生成期であるために人権状態に不充分な点はありつつも、社会保障制度の充実などを見れば、その体制的優位は明白である」と言い続けてきた評価を、一夜にして「あれは社会主義を自称しているだけで、社会主義でも何でもない」と平然と言い出す変身ぶりには、失望しました。
極めつけは、19大会で不破氏が「東欧の(当時の)政権党は、これからもトンチンカンなことをやり続けるだろう」という趣旨の発言をした際に、代議員が一斉に(笑い)をもって応えたことでした。
「馬鹿な友党」をこき下ろすことには腐心しても、その「トンチンカンな」政治の下で、さらに苦しめられ続ける何百万もの名もなき民衆がいることには一顧だにしない無神経さに、「大会代議員もここまで堕落したのか」とやるせない憤りを感じたことを、今でも思い出します。
多分中学生の頃だったと思うのですが、「プリズナー・ナンバー6」というアメリカ製のテレビドラマがあって、これは多分、ジョージ・オーウェルの1984年の雑な焼き直しだと思うのですが、社会主義国を一種の監獄に見立てて揶揄するドラマが深夜に放映されていました。それを見て感想を話すと、回りの共産党支持の先輩たちは、「それはアメリカ帝国主義者らの偏見に満ちた洗脳番組だ」と一言の下に切り捨てていました。
しかし、当時国内に苛烈な人種差別を温存していたアメリカ帝国主義者にそれを非難する資格は全くないにせよ、それはまさに現実だったのであり、それから20年後に、その「監獄のような」体制は人民自身の力によって打倒されてしまったのです。
では、学生時代に私が傾倒した「各人が自由な発展を保障される」理想社会への展望は、捨てるべきなのか。当時宮本議長は、「人権状態が必ずしも良くないことは知っていたが、人民自身が納得して我慢しているものを思っていた」と述懐していたと記憶していますが、結局あの事態は、「人はパンのみにて生くるものに非ず」を証明したのだと思っています。
ということは、むしろいっそう、誰もが「各人が自由に発展を保障される」理想社会に向けての世界的な歩みを始めたと言えるのではないか、と私は考えました。
その後、余りの党中央の対応の官僚性と嘘とに堪えられず、離党はしましたが、あれこれの大衆運動には参加しておりました。その後党が案の定、右転落を進行させていくのを見るにつけ、世紀が変わる辺りから何とかしなければという想いの方が強くなってきました。
そのためには、民主集中制のような組織原則の面のみならず、どのような政治的見地で人を結集していくかについても、それなりに確固としたものが必要だと思っています。
ですから、私のように、虚しさを胸に抱きながらも、以上のような観点から必要な議論だと考えて、このサイトを借りて議論をしている人間もいるのだということを、とおりすがりNさんにもどうしても分っていただきたいと考え、コメントをさせていただきました。