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国家とどう向き合うかべきか

2004/12/01 かが 20代 学生

 イラクにおけるファルージャの市街戦は凄惨極まるものとなりました。
 ここに居る多くの人々が改めてアメリカに対する怒りを覚えた事でしょう。
 ただ此処で私が言いたいのはアメリカという国は特別な構造をしたものでは無いという事です。確かにあの国は様々な矛盾は孕んでいますが。住む者も人間、政府のを為す者も人間。他の国と何の変わりもありません。

 皆さんも良くご存知の通り全ての国家は国益に立ちリアリズムと国際レジームの中で苦悩しつつも常に合理的な選択肢を模索します。
 それは万国共通であり例外というものはありません。
 其の中で国というものは常に弱者に犠牲を強いるというのが現実です。
 アメリカにとってのイラク。ロシアにとってのチェチェン、中国にとってのスーダン、領内における対少数民族、そして日本も然り。
 国家の本質において国力と国内事情において違いはあれど其の行動モデルには違いはありません。
 直接民主制の国がこの世に存在しない故に国と人民は常に別の次元のものでありそこで働く論理も大なり小なり末端の人民のものとは異なるものなのです。

 しかしここで意見を聞いていると一部の国家は人民=国家であるとしたり国家には優劣があったりするような意見を多々目にします。
 高性能ミサイルによって殺されようが収容所で銃殺されようが其の不条理に殺される人間の主観に立てば同じです。
 今の共産党は米国のそれに対しては声高に叫ぼうとも米国以外の国で働く国家の冷酷な論理に対してはだんまりと言う所に失望を感じます。
 日本の拉致被害者も下層階級ゆえ従軍していく米兵も。ロシアや中国で弾圧される少数民族も。全て国家というシステムが生み出した犠牲者なのです。しかし国家というシステムの存在を望むのもまた人民の性です。

 それゆえ私たちは特定の国家へ対しては糾弾、特定の国に対しては連帯という概念を捨てて、弾圧される末端の人民の救済を求め全ての国々に存在するあらゆる不条理に対し強く糾弾し、国家と個が共存できる社会を目指すべきではないでしょうか

 ちなみにここで言う国家というものは実力を伴う組織という意味であり国境を作り上げて出来た国家だけという意味ではありません。