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北朝鮮被害者救出隊派遣提案の補足

2004/12/01 万年青年 60代以上 通訳・翻訳業

 先の10/07、10/13付けの北朝鮮被害者救出隊派遣提案につき、再度補足させて下さい。(先の提案内容は繰り返さないようにしたいので、それと合わせてお読み下されば幸いです)。
 ここで言う被害者とは、日本が行なった、強制連行、従軍慰安婦その他非人道的行為による朝鮮人被害者(既に死去している場合はその遺族)、「祖国帰還運動」で北朝鮮に渡たり今は日本への帰国を望んでいる日本人、及び北朝鮮に拉致された日本人を指します。
 我々は、日本が引き起こした先の戦争には反対しながら、刑務所等に隔離されていて、反戦運動を市民的レベルで戦えず、戦争を阻止できずに、植民地も含め多くの国の市民に多大な不幸をもたらしたという負の遺産を背負っています。また、ソ連の中央集権的独裁国家を批判しながらも、戦後、「社会主義の祖国」「労働者の祖国」との声に押されて、その後の、各地での「社会主義国家」の成立を阻止し、それに代わる市民連合社会建設の国際的な運動を構築できないまま、各国での人権抑圧蹂躙の悲劇を繰り返えさせてしまいました。北朝鮮についても「共和国」成立につき、「独裁国家の再生産、再来」であるとの批判の声を上げても、日本国内での「礼賛大合唱」にかき消され、結果的に、その後の「朝鮮動乱」「祖国帰還運動」そして「日本人拉致事件」その他の国家テロ行為をも防げませんでした。「これらの社会主義国は反市民的強権国家である」との意見は、「米日反動を利する利敵行為」とレッテルを貼られ、戦時中の反軍思想、反戦思想に対する、当局からの「売国行為」との統制、抑圧と同じような経験を戦後も余儀なくされました。
 50年代初期の2年程の「武装闘争」だけが、戦後共産党が唯一主導し権力に対峙した「直接行動」でしたが、残念ながらそれは、日本革命への戦略的展望に基づく運動ではなく、当時の組織への弾圧に対する対抗的側面が強かったばかりではなく、「朝鮮動乱」つまり南朝鮮との「社会主義的統一」を指向する北朝鮮を支援する「後方攪乱闘争」としての位置付が根底に有り、日本革命へと発展させるような「武装闘争」にはなり得ませんでした。
 その後の共産党は、宮本氏個人の性格、大衆運動を殆ど知らないという特質により、一転して「合法主義」となり、ゼネストその他の直接行動の軽視、議会主義への転落、組織防衛と称して常に挑発に乗るなと言い続ける国家権力との闘争の回避、(つまり党幹部、党官僚の地位保全)という方針の下、革命運動からは際限なく逃避し続け(60年安保闘争を革命に転化させようとする、我々労働者、市民、学生に対し、「トロツキスト」等のレッテルを貼るなど闘争の妨害勢力となり、私の知る限り、党に残っていた最後の戦闘的、良心的党員の多くが党から決別して行くこととなりました。
 蛇足ながら、追け加えますと、よく言われる「スターリン主義」は、決してスターリン個人の創造ではなく、その中央集権的国家、一党独裁は、マフノヴィチナやクロンシュタットの運動、闘いを武力で鎮圧した、レーニン、トロツキーを手本としたものと言え、更には、マルクスにもその芽を見ることが出来ます。例えば、三部作「階級闘争」「ブリュメール18日」「内乱」を読むだけでなく、合わせて、クーゲルマン、ループクネヒト、ニウヴェンフィス等に宛てた書簡を読みますと、マルクスが、自分の「恐慌革命論」を超えた予期せぬ1871年の「コミューン設立」に接して、如何に驚愕し、動揺し、当初の賛美から、紆余曲折しながら晩年はコミューン批判に転じ、結局「中央集権国家、党による独裁権力擁立」の是認と、一方では「非集権的な連合社会」の否定に重点を移して行きました。そこには、20世紀になってから、彼の予測、期待とは異なる地域で、何故、あのように集権的、強権的「社会主義国家」が誕生してしまったかを知る糸口を見ることが出来ます。
閑話休題。
 私の「被害者救出隊の派遣」をもう少し具体的に補足しますと、まず、北朝鮮との交渉により、ピョンヤンその他に本部事務所を開設し、捜索要員、朝鮮語通訳その他のスタッフを常駐させます。現在WFPが事務所を開設して40人余りのスタッフで食糧支援の実態を調査していますが、制約を受けて、全域の半分程度でしか調査が出来ていません。日本の行う活動区域は、当然全域が対象で、要員も多数の通訳を含めて、はるかに規模の大きいものが必要です。
 重要なことは、北朝鮮にこの日本の活動の承認と、その行動の安全性の保証を事前に充分取り付けることです。
 その交渉の要点は「北朝鮮がこれまで認めたごく限られた人数の拉致被害者だけを対象として、先の帰国者以外は全員死亡という報告は、日本の大半の市民が納得しておらず、日本が自分で捜索する必要が有ります。この捜索は、日本人被害者だけでなく、朝鮮人被害者、若しくはその遺族をも捜索し、過去の悲劇による日朝双方の被害者の救出と、その個々人に対する職説的補償を履行するためのものです。この双方人民の共通の理解の上での活動により、具体的な成果を積み上げることで、双方人民の連帯を形成し、その後にこそ真の「国交正常化」が見えて来るものです。北朝鮮当局と人民によるこの日本の救出活動への容認と保証なしに、「正常化交渉」だけを双方の権力者主導だけで先に進めることは、少なくとも自主的に物事を判断する自立した市民の容認するところでは有りません」ということです。
 現在、「北朝鮮は、100人以上にもなる拉致の全貌を隠そうとしているのだから、日本による捜索活動など、絶対容認しない。やはり経済制裁で圧力を掛けて、回答を引き出すしかない」との見解、世論も聞こえて来ています。
 この経済制裁は、両国市民の間の敵対的感情を更に強めることになり(その後の武力行動を背景とするのが制裁のこれまでの通例)、それと、この救出活動とは本来的に両立しません。制裁行動が採られてしまう前にこそこの具体的行動が平和的になされる必要性を痛感します。
 私は、過去の市民運動の非力さの反省に立って、在日朝鮮人、更に北朝鮮市民有志との連帯により、北朝鮮人民の解放、個人の自由を尊重する北朝鮮市民連合社会の建設運動を続けている一人ですが、この双方の被害者救出、補償の運動もその運動の中に位置付けています。本来は廃絶すべき、国家に救出を要請するということは、甚だ不本意でありますが、戦前、戦中の被害者の高齢化、遅すぎた救出と補償を考え、自分達の現在の力量からも、政府への働きかけもこの際止むなしとするものです。 更になすべき、より有効な具体的な運動のご提案の有る事を願っております。