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一般投稿欄

核抑止論と1980年代のソ連脅威論の嘘

2004/12/02 草の根の一人 40代

 むぎむぎ様、ずいぶん長いお返事になってしまいました。ごめんなさい。やは り論点を絞っていかないと長くなってしまいますね。

【核抑止論について】

(草の根)ぜひどういう過程で「核抑止論の論旨で、地上発射の中距離核兵器は全廃 された」のか、むぎむぎ様の考えを教えてください。

(むぎむぎ様)原水禁ですら、核抑止論の論旨で、中距離核兵器が全廃された事を 「しぶしぶ」認めていますよ。草の根のひとり様。原水禁の文章は、「核抑止論 でINFが全廃された事実を認めつつ、アメリカへの非難や、反核運動が政治を動かし た事をアピールしたい気持ちで筆を走らせ、それに失敗している」という文章です。

 むぎむぎ様が上記のコメントの根拠となさったのは、以下の文書ですね?

>注1:パーシングII(射程180キロメートル、5~50キロトンの核弾頭1個装備)は NATOが1979年末にヨーロッパに配備を決定し、ソ連が対抗措置としてSS20(射 程5000キロメートル、150キロトンの核弾頭3個を装備)を決定したことにより、ヨー ロッパの東西で激しい反核運動が燃え上がり、ソ連崩壊の遠因ともなった。ソ連は極 東地域にもSS20を約100基配備していた。1987年12月にINF(中距離核兵器)全廃 条約が調印され、地上発射の中距離核兵器は全廃された。

 この文章のどこに「核抑止論でINFが全廃された事実を認め」た部分があるのでしょ うか?この文章はむぎむぎ様の指摘のように、「ヨーロッパの東西で激しい反核運動 が燃え上がり、ソ連崩壊の遠因ともなった」とは書かれていますが、「核抑止論 でINFが全廃された」ことを論証、または反証してはいませんよ。

 したがってむぎむぎ様の

>原水禁の文章は、「核抑止論でINFが全廃された事実を認めつつ、アメリカへの非 難や、反核運動が政治を動かした事をアピールしたい気持ちで筆を走らせ、それに失 敗している」

 は、原水禁の文章を誤読した上でのむぎむぎ様の推測でしかありません。
 前にも書きましたが、このような誤解または事実に基づかない議論はやめにしたい と思います。

 また、むぎむぎ様は

>核抑止論というのは、冷戦という戦争の中での戦争の手段の一つです。核を使うと 全滅だぞ、と脅しながら、有利な外交成果を導き出すのが冷戦であり、核抑止論なわ けです。
ソ連崩壊は反核運動が遠因だったとしたいみたいですが、(原水禁に同情はするが) 事実は、核抑止論の論旨で、外交的にも、政治的にも有利な外交結果を導き出せなかっ た、ソ連が、冷戦に敗れ、国内、周辺国の軍事プレゼンス能力が低下したのが遠因で すね。
それは、NATOやアメリカが、核抑止論による冷戦で勝利し、ソ連が敗退したからで す

 この部分がむぎむぎ様が「核抑止論の論旨で、地上発射の中距離核兵器は全廃され た」ことについて論証なさっている部分と考えてよろしいでしょうか?  ここでも「核抑止論の論旨で、外交的にも、政治的にも有利な外交結果を導き出せ なかった、ソ連が、冷戦に敗れ、国内、周辺国の軍事プレゼンス能力が低下したのが (ソ連崩壊の)遠因」であるという主張は述べられていますが、「核抑止論でINFが 全廃された事実」の論証はありません。
 冷戦の終結・ソ連の崩壊がINFが全廃された背景であるという説明は成立しますが、 核抑止論でINFが全廃されたとは言えませんし、核抑止論でソ連が崩壊しその結果INF が全廃されたとするならば、核抑止論でソ連が崩壊したことを論証する必要がありま す。残念ながらむぎむぎ様のコメントにはその論証がありません。

【1980年代初頭のソビエト脅威論の嘘】

(草の根)あの頃は、日本でもソビエト脅威論がずいぶん言われましたね。ソビエト が北海道に侵攻してくるとか、そんな本が書店にあふれました。私はといえば、親ソ 政権の、しかも地続きの人口3600万のポーランドを押さえかねているソ連が、何のた めに反ソ、嫌ソ感情の強い、しかも海を隔てて補給路の確保さえ難しい日本に攻めて くるものか。来るなら米ソ戦争になった場合に宗谷海峡を押さえに来るだけだ、と思っ ていました。なぜかあの当時、ソビエト脅威論を唱えた人たちは、ソ連が日本に侵攻 するとすれば、それは米ソが戦争状態になった時だという前提を話さなかったし、そ の時は地上部隊だけではなく核ミサイルが飛んでくるだろうという話もしませんでし たね。

 このコメントはむぎむぎ様の以下の引用へのお返事でした。

>(超タカ派の核武装論者の国会議員曰く)この趨勢を見て、私は、かつての「反核 運動」を思い起こしました。これは、一九七〇年代、ソビエトが、中距離弾道ミサイ ルSS20をヨーロッパ正面に 向けて配備したことに対し、西ドイツのシュミット首 相が、同じく中距離弾道ミサイ ルパーシング?をソビエト見向けて実戦配備する決断 をした。そして、一九七九年、 実戦配備を完成させるのだが、この時、ヨーロッパ では、若者を中心とする「反核運動」が連日何万人もシュミット首相を非難して、パー シング?導入非難を繰返した。しかし、ソビエトのSS20導入への非難はなかったので す。ソ連崩壊で、この「反核運動」の真相が明らかになった。それは、この運動が、 ソビエトの工作により火がつけられていたと言うことだ。つまり、これは西側に、 SS20に対抗するパーシング?導入を阻止するためのプロパガンダ戦略であったのだ。

 1980年代初頭、ソビエトのアフガン侵攻で米ソのデタントが崩れ、ヨーロッパへの 中距離核ミサイルの配備をはじめ米ソの対立が激化する中で、日本ではソ連の脅威が 声高に叫ばれました。反核運動(原水禁運動)はソ連の工作だというプロパガンダも 行われ、非核自治体運動に対して「非核自治体宣言は日本の平和に有害です」(だっ たかな)というパンフレットを自民党が出したりしたのもこのころのことです。
 このとき、この超タカ派国会議員のような人たちが言わなかったことが、「ソ連が 日本に侵攻するとすれば、それは米ソが戦争状態になった時だ」ということでした。

 そのことに対する反論?が、

>当時の話は、青春を謳歌していた私なので、現在の話になる事をお許しください。 現在も、ロシアは日本の領土を占領してますし、現在も、日本とロシアは平和条約を 結んでいません。現在も、ロシアは、安全保障理事国で、現在も、日本は、国連の敵 国条項対象国です。現在も、ロシアが太平洋に出るにはウラジオストクが重要で、現 在も、ロシアの軍用機が日本の空域に接近し航空自衛隊がスクランブルをかけ、現在 も、ロシアの国境警備隊が、日本の漁船に銃撃してます。
まだ、続けます?現在は、ロシアの軍事力の実態を日本が知り、ロシアのボロ原潜の 廃原子炉を日本が処理してあげて、ロシアの艦隊が瀬戸内海の呉に友好親善でやって くる程でロシアは脅威でもなんでもないですが、ソ連時代の当時の日本政府の国防関 係者の憂鬱は推して図れると思いますけどね。

 では、全く議論が噛み合っていません。
 まして、このような国会議員の発言を引用して、

>「平和を守るソ連社会主義の核兵器・核実験支持」の原水協のイメージを払拭する 努力を団体として、原水協が、積極的にやられてないじゃないですか。

 と言われても。。。。。今時、原水協を「平和を守るソ連社会主義の核兵器・核実 験支持」というイメージで見ているのは、「原水禁運動は赤の運動だ」と信じきって いる一部の人に限られるのではないかと思います。そういう人にとっては原水禁も原 水協も核禁会議も、みんな同じように見えるんでしょうね。