コメント、有難うございました。
支管の詰まりを除去した途端に酸欠ガスが押し寄せて一発・・・そんなことがある のですか?全く想像もできません。素人が生意気な見解を述べたことを恥じます。そ れにしても恐ろしい。
あなたの職場の安全対策はわかりましたし、それを徹底して、絶対に事故を起こさ ないでほしいと思います。ただ、自分が危険でない仕事をしている素人の私は、社会 一般の風潮に非常に不安を募らせています。
あの投稿を書いていた頃、朝日新聞で労災に関する連載をしていました。それによ ると、建設現場の状況は極めてひどいようです。コスト削減が、直接安全対策の省略 につながり、しかも事故がおきても労災の申請ができないというのです。
足場を組んだら大赤字になるので、足場なしで巾10cmの鉄骨の上を歩いて転落 して骨がぐしゃぐしゃ。それで労災を申請すれば、元請が「なんで申請した?もう仕 事は出さん」といわれる。それに対して労働基準局は、「命綱を使用せよ」だけで、 命綱を固定する足場が無いことには気づかない。そのため、取り付ける相手の無い命 綱を腰からぶら下げて、邪魔になるだけのアホな格好で危険な作業を続ける。こんな 悲惨な笑い話が、笑い事でない現実として、日本中にあるようです。
私がこんなことをしつこく言うのは、それが建設業だけの問題ではなく、社会全体 で進行する弱者切り捨ての一断面に過ぎないと思うからです。つまり、新自由主義が 今やあたり前のこととして、経済だけでなく教育・福祉など、社会と我々の生活のあ らゆる局面に浸透するにつれて、「非エリートは最低限で我慢しろ」「利益につなが らないことに金や手間をかけるな」という風潮が、一般の人間にも染み込んでいるの ではないか、ということです。
ひどい労働条件で苦しんでいる人たちがいても、「それはとび職の話で自分には関 係ない」「それはパート労働者の話」「自分とは別の世界」などと言って、「中流」 のつもりでうわべの豊かさにおぼれているうちに、私達はどんづまりに向かっている のではないか、そんな気がします。
なんでもかんでも一緒くたにしてしまう私は、改憲に向かう政治情勢から思想信条 の自由を否定する国家主義的な教育の浸透から、失業に怯えてひどい労働条件に泣き 寝入りするパート労働者の置かれた状況まで、1つの流れとして考え、立ち向かわな ければならないと感じています。
どうか、安全の考え方を深め、そして他にも広めてください。